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旧中山道六十九次 ぶらり徒歩の旅 11

軽井沢〜19沓掛宿〜20追分宿


作者 Hitosh




軽井沢


軽井沢・旧中山道



東京発6:52の新幹線に乗って、軽井沢に着いたのは8:12であった

軽井沢駅より、しなの鉄道沿いに前回歩いたところを戻り
旧中山道に復帰した

今回は次の新幹線駅である佐久平までの予定である
旧街道のみで23kmの行程であった


(長野県軽井沢町)


軽井沢・離山



旧街道の右手にある山は離山(はなれやま、1256m)である
この山は、文字通り周囲の山から独立していて、目立つ山である

頂上の展望台からの眺めは素晴らしいとのこと
近くの登山口から約1時間で登れる

手前の建物は軽井沢ロンギングハウス(ホテル)である


(長野県軽井沢町)


市村記念館





さらに進むと右手に市村記念館がある
軽井沢南原の別荘地を開発した、市村今朝蔵、きよじ夫妻の別荘であった

和洋折衷の建築、豪華な調度品等が公開(400円)されている
庭から浅間山が良く見えるところである


(長野県軽井沢町長倉)


しなの鉄道踏切



しなの鉄道の踏切を越えると、次の沓掛宿が近い

背後の山は今でも噴煙を上げている浅間山(2568m)である


(長野県軽井沢町)

19沓掛宿

永倉神社





中軽井沢駅手前の湯川沿いに古い神社がある
延喜式内社の長倉(ながくら)神社である
創建は天長年間(824〜834年)という

神社の西一帯は「長倉の牧」のあったところで
古くから開けたところであった

境内に沓掛(くつかけ)時次郎記念碑(下の写真)がある
石碑には作者の長谷川伸の下記の書が刻まれている

「千両万両枉(ま)げない意地も 人情搦(から)めば弱くなる
浅間三筋の煙の下で 男 沓掛時次郎」

付近一帯は長倉公園となっている


(長野県軽井沢町長倉)


沓掛宿・JR中軽井沢駅前



沓掛宿は今の中軽井沢駅前の交差点(写真)を中心に
東西五町(550m)の町並みで
本陣1、脇本陣3、旅籠13軒であった

残念ながら町名も駅名も中軽井沢駅に変わり
昭和26年の大火で、中心街が全焼したせいもあるが
沓掛宿の面影は殆ど残されていない

沓掛の字も、長倉神社の沓掛時次郎のみであるのは
少し寂しい気がする


(長野県中軽井沢町)


古宿・旧中山道





沓掛宿を出て、次の20番目の宿場、追分への道は
静かな樹間の道となっている

道脇には馬頭観音や地蔵菩薩、庚申塔が其処彼処に残されている


(長野県軽井沢町古宿))

20追分宿


浅間神社







古宿、借宿を抜け、復元された追分の一里塚跡を過ぎると
追分宿である

その入り口の所にあるのが、この浅間神社だ
江戸時代には「すは大明神」と呼ばれ、巨木の繁茂する大きな社である

奥には追分郷土資料館(写真中)そして、境内には芭蕉句碑(写真下)がある
また「追分節」の発祥地の石碑もあった

「浅間山さん なぜ焼けしゃんす 裾に三宿 もちながら」
「追分ます形の茶屋で ほろと泣いたが忘らりょか」と
すっかり酒席での歌になっているが
もともとは碓氷峠の馬子唄であった

この歌が、北国街道を北上して越後に入り
越後追分として船頭歌になった
さらに酒田追分、新庄追分を経て、蝦夷地に渡り、松前追分、江刺追分になっている


(長野県軽井沢町)


堀辰雄記念館





旧中仙道沿い左に堀辰雄文学記念館がある
大正末から、昭和まで30年ここに住み着き
「美しい村」、「風立ちぬ」などを書いたという

追分宿は、文士の別荘地として人気があったところであった


(長野県軽井沢町追分)


追分・油屋脇本陣



脇本陣であった油屋である
今も高級旅館として営業している

追分宿は、中山道と越後へ通じる北国街道との分岐点であった
その為もあり、軽井沢三宿の中では最も賑やかな宿場で
本陣1、脇本陣2、旅籠35軒であった

江戸時代の道中記に
「駅舎のさま 賑はゝし。名物そば、うんどん、銘酒。宿よし、出女あり」
と紹介されていうる


(長野県軽井沢町)



追分宿








追分宿の中心で、本陣のあったところだ

3枚目の写真は追分宿の高札場跡である


(長野県軽井沢町追分)



追分宿上木戸




追分宿の上木戸のあったところである

ここで、旧中山道は現国道18号線(北国街道)と一時合流する
合流するところには、大きく追分宿との道標があった


(長野県軽井沢町)



追分宿・分去れ(わかされ)




追分宿を出るとこの分去れ(わかされ)である
かつては北国街道と中山道の分岐であったところだ

現在では、この旧北国街道(上側の道)と旧中山道の間に
現北国街道(国道8号線、写真下側の道路)が入り、3道の分岐となっている

写真の常夜灯は4mもある大きなものであった
常夜灯の南面には
「さらしなは右、みよしのは左にて、月と花とを追分の宿」
の歌が彫ってある


(長野県軽井沢町追分)


笑坂



分去れより、旧中山道は左に入る
笑坂と呼ばれる坂である

ここから次の21番目の宿場小田井までは
浅間山を背に、蓼科山を前にした緩やかな下り坂の続く
快適な道となっている

京都方面から来た旅人が、この長いだらだら坂を上ってきて
目の前に追分宿の灯火を見て思わず笑みを
浮かべたところから笑坂と言われるようになったとか


(長野県軽井沢町追分)
0606/0609

歩行略図

歩行距離 11.8km
(青線部を歩行)





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作者 Hitosh