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旧中山道六十九次 ぶらり徒歩の旅 13

佐久平23塩名田宿24八幡宿


作者 Hitosh



佐久平


佐久平駅



東京駅6:52発の新幹線あさま503号で来た
到着したのは朝の8:21であった

駅前のベンチで着替えをして、いよいよ2拍3日の和田峠越えである

今回の目標地は中央本線の下諏訪駅である
街道だけで、合計56kmの上り下りの激しい行程だ

途中、鉄道の便が全く無く、とにかく下諏訪まで行かないと
帰れないため、スタートから気合の入るところであった


(長野県佐久市)


佐久平





駅前の一本道を歩いて、前回中断した旧中山道まで戻った
広々とした佐久平(佐久盆地)の稲は、刈り取り間近であった

佐久平は、北は浅間火山群、東は関東山地
西は蓼科山に囲まれた盆地である

盆地床は標高は650m〜800mと日本の盆地としては高く
北部は浅間山の火山噴出物が堆積した台地で
南側は千曲川の沖積地となっている

因みに、ここの標高は690mであった
ここから次の23番目の宿場、塩田名宿を目指した

ところどころに、石仏や石塔が建ち、旧中山道の雰囲気を忍ばせてくれている


(長野県佐久市塚原)


駒形神社





右手にこんもりとした森が見えてきた
小さな丘となっており、頂上には駒形神社が鎮座している

頂上の社は、文明18年(1486年)の建立という

この丘を越えると、次の宿場塩名田である


(長野県佐久市塚原)

23塩名田宿


駒形坂



駒形神社の丘を越えると、目の前が開け
塩田名の町が見渡せる

この坂を駒形坂という


(長野県佐久市浅科村)


23塩名田宿





塩名田宿は本陣1、脇本陣1、旅籠7軒の宿場であった
塩名田で標高625mであった

本陣と問屋を兼ねた丸山家の建物が現存している


(長野県佐久市浅科村)


千曲川





塩名田宿から千曲川河畔に下る道である
川を挟んで対岸の御馬寄(みまよせ)が見えるところだ

かつては、9艘の船を並べて、その上に板を敷いて仮橋としていたところである

今は立派な中津橋が掛かっている

下の写真は、その中津橋から下流(小諸側)を見た写真である
中央の橋は長野新幹線で、背後の山は浅間山である


(長野県佐久市浅科村)


御馬寄





御馬寄(みまよせ)の大日如来像である
近くに御馬寄一里塚(今は標識のみ)があったところだ

コスモスの花が満開であった

なお、御馬寄は、字のごとく馬を寄せ集めた所からきている
古代の官牧(かんぼく、勅旨牧とも)の望月牧の貢馬(こうば)を
ここで寄せ集めたとのこと


(長野県浅科村御馬寄)

24八幡宿


八幡神社



浅科村の下原を抜けると24番目の宿ば、八幡(やわた)宿である
その入り口にあるのが八幡(はちまん)神社である

貞観元年(895年)創建というから古い

右手に沓掛宿の標高が940mで、この辺で790mである
だいぶ下ってきた感じであった


(長野県御代田町)



八幡宿







八幡宿は本陣1、脇本陣1、旅籠3軒であった

多数の石塔が街道に沿って並べられていた


(長野県佐久市浅科村)



八幡宿・本陣跡



八幡宿の本陣跡である
当時の本陣の門が残されていた

街道を挟んで反対側に、脇本陣があったところだ


(長野県佐久市浅科村)



御牧ヶ原



八幡宿の北側にある広大な台地は
かつての御牧ヶ原(みまきがはら)で、古代にはここに望月牧があり
毎年、貢馬20頭を朝廷に献納したという

次は中山道25番目の宿場、望月宿である

☆ ☆

この辺では、残暑が厳しく、休み休みの徒歩の旅で
なかなか距離が稼げない辛い道中であった


(長野県佐久市浅科村)

0609/0609

歩行略図

歩行距離 7.3km
(青線部を歩行)





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作者 Hitosh