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旧中山道六十九次 ぶらり徒歩の旅 22

鳥居峠〜35薮原宿


作者 Hitosh



鳥居峠


鳥居峠東坂





小雨の中、木曽路最大の難所・鳥居峠越えである

一部石畳も残された実に快適な登山道だ
紅葉が始まっていた

旧坂を1.5時間(3km)ほど登ると突然視界が開けてきた


(長野県塩尻市楢川村奈良井)



鳥居峠頂上より





頂上より遠く木曽の御岳山(3063m)が見えた
反対側に木曽の駒ケ岳(2958m)も見えるというが
生憎の天候で駄目であった

塩尻峠は標高1197m
信濃川(奈良井川)と木曽川を日本海側と太平洋側に分ける分水嶺である

ここから麓の35番目の宿場・薮原宿の北側が、木曽川の源流となっている
これからはこの木曽川に沿っての街道歩きとなる

雨も止み、西坂を一気に下り
麓の薮原宿を目指した

今年は熊が特に多いとのこと
ここで鐘を鳴らし、「これから人間様のお通りだ」の合図を送る

今回も腰に熊除けの鈴をつけての登山であった


(長野県木祖村


鳥居峠・西坂





西坂も快適な道となっている
紅葉も進み、落ち葉を踏みしめての下山であった

麓の薮原宿までは約2kmの道のりである

坂の途中に頂上と同じ熊除けの鐘が3ヶ所も設置されていた


(長野県木祖村)



栃の木群生地・子産の栃






鳥居峠の西坂はトチノキの大群生地となっている

その中の1本が、下の写真で「子産の栃」と呼ばれたもの

説明板によると
昔、この穴の中に捨て子があり、子宝に恵まれない村人が育てて
幸せになったことから、この栃の実を煎じて飲むと子宝に恵まれると
言い伝えられているとのこと


(長野県塩木祖村


御嶽神社付近





山腹の御嶽神社(御嶽山遥拝(ようはい)所)を過ぎると、
眼下に、麓の宿場・薮原が見えてきた


(長野県塩尻市楢川村奈良井)


石畳・原町の清水





途中、石畳が復元されていた
その石畳を過ぎたあたりに新町の清水がある

自由に水が飲めるようになっている
山腹より湧き出した水である

この先、木曽路には、湧き水を利用した水船が至るところに
設置されていた

冷たく美味しい水で、徒歩の旅人には
まさにオアシスであった


(長野県塩尻市楢川村奈良井)


薮原宿・薮原神社





薮原宿が眼前に展開している

その入り口にあるのが薮原神社である
薮原宿の産土神(うぶすながみ)である

本堂の右に「八品社」がある
欽明天皇が詔を発して櫛を八品大明神と呼んで以来
櫛匠の家でこれを祀る様になったとか

櫛には
水櫛、解櫛、真櫛、透櫛、爪櫛、挿櫛、唐櫛、小櫛の8種類が
あることから八品様と呼ばれたとのこと

その城の石垣のようなところが極楽寺である


(長野県木祖村


薮原宿町並





中央本線のガードを潜ると薮原宿である
お六櫛の里として知られたところだ

下の写真はお六櫛の問屋である

お六は、妻籠宿の旅籠の娘で
旅人の土産用の櫛を売り出したところ
大好評で「お六櫛」は妻後の名物となった

しかし、材料のミネバリの木(粘りのある硬い木)が
不足して、薮原より調達していた

薮原では、材料だけの提供では利が少ないため
ここで作るようになり、いつか妻籠のお株を奪ってしまったようだ

弘化8年(1695年)には、薮原宿の2/3が
櫛関係の仕事に携わっていたとのこと

本陣1、脇本陣2、旅籠10軒の宿場であった


(長野県塩尻市楢川村奈良井)


旧旅籠・米屋







今夜の宿は、江戸時代からのつづている旅籠、「米屋(こめや)旅館」である
ここの御主人は何と19代目とのこと

創業は室町時代というからすごい
中山道の宿8選に選ばれている宿であった

入り口は江戸時代の建物であったが
宿泊したのは明治時代に増築した客間である

回り廊下のあう8畳2間の贅沢な部屋であった

夕食の山菜料理が旨かった


(長野県木祖村)


木祖村民センター





薮原宿で出口で、かつては薮原の一里塚のあった付近に
木祖村民センターが出来、蒸気機関車(D51)が展示されていた

ここから先は、山の間の木曽川沿いの狭い谷を
歩くことになる

木曽川に沿って現国道と中央本線、そして旧中山道が
互いに寄り添うように並んでいるところだ

次の宿場は木祖義仲の里、36番目の宮ノ越宿である


(長野県木祖村
0610/0611

歩行略図

歩行距離 4.3km
(青線部を歩行)



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作者 Hitosh