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旧中山道六十九次 ぶらり徒歩の旅 25

木曽福島〜38上松宿


作者 Hitosh



木曽福島


木曽福島駅前





新宿発7:00の特急あずさ1号に乗った

塩尻で特急しなの6号に乗り換え
木曽福島駅に着いたのは10:27分であった

今回はここから旧中山道に復帰である
駅を降り、すぐ左手の旧街道に入ると、もう山道となった

まさに木曽路はすべて山の中である


(長野県木曽町木曽福島町)



中平橋・木曽川








この辺は、木曾谷沿いの狭いところに
一番上が旧中山道、中がJR中央本線、そして下の一番川沿いが
現中山道(国道19号線)となっている

階段状に見事に並んで走っているところである


(長野県木曽町木曾福島)



木曽・桟







木曾の桟(かけはし=地名)である

桟とは、断崖や川に平行してテラスのようにかけられた橋である
江戸時代は手すりとか欄干のようなものは無く
木曾の難所といわれていた

現在の国道はかつての桟の上に出来ているが
鉄道はトンネルの中を走っている

一番下の写真は、木曾川の反対側にある
桟温泉である

橋の田袂に芭蕉の句碑があった
「桟や 命をからむ 蔦かづら」

正岡子規の句碑には
「かけはしや あぶない処に 山つつじ」
とあった


(長野県上松町桟)



38上松宿

木曽川・唐沢橋






木曽川にかかる吊橋
下の写真はこの吊橋から上流を見たものである

ここまで来ると、旧中山道38番目の宿場・上松宿はもうすぐだ


(長野県上松町


笹沢・木曽川



上松町笹沢付近の木曽川である
大きな石がごろごろしていた


(長野県上松町笹沢)



38上松宿






上松宿に入った
ここ上町(かみまち)付近、約100mは古い町並みが残されている
しかし、その他は昭和20年の大火のため、宿場の面影は失われてしまった

本陣1、脇本陣1、旅籠は35軒であった


(長野県上松町上町


上松・見帰





見帰(みかえり)の集落を抜けると視界が開けた
前方の集落は立場・寝覚の集落である

下の写真は寝覚の集落にある、江戸時代から続いている茶屋である
左は越前屋で、右がたせやである
たせやは現在民宿を営んでいる

この2軒の家の間の狭く急な坂道を下ったところが
有名な寝覚めの床である


(長野県上松町寝覚



臨川寺・寝覚めの床








細い坂道を下った崖の上に臨川(りんせん)寺弁天堂(上の写真)が建っている
寝覚めの床へは、この寺の境内(有料)を通らないと行けない

下の写真は、寺の境内から寝覚めの床を俯瞰したものだ

浦島太郎がここで玉手箱を開けてしまったところである
その後、浦島太郎はどこかへ立ち去ったが
乙姫様から貰ったという、弁才天の像だけがこの岩の上に残されていた

その弁才天を祭ったのが臨川寺弁天堂(上の写真)である

それはさておき、この寝覚めの床は見事であった
大正12年には、史跡名勝天然記念物にも指定されている


(長野県上松町寝覚



木曽駒ヶ岳と宝剣岳





さらに進むと左手に大きく木曾駒ケ岳と宝剣岳が見えてきた

以前に、反対側の駒ヶ根からロープウェイを使って宝剣岳のカールまで上り
その後、木曽駒に上ったことがある
この写真はその反対側である

下の写真は旧滑川(なめりかわ)橋より木曽川の支流滑川を撮ったものだ


(長野県上松町



小野ノ滝




さらに進むと左手に小野の滝がある
江戸時代、木曾八景に選ばれていた落差9mの滝である

十辺舎一九の「続膝栗毛木曾街道」にも紹介されている滝だ


(長野県上松町



唐沢橋・木曽川








木曽川河畔の紅葉が見事であった
そして樹間から見える木曽川も素晴らしかった

見事な石である

吊橋・唐沢橋の先は諸原の集落である

さらに進み、この先の倉本駅に着いたのは
17時であたりはすっかり暗くなっていた

この辺には泊まるところが無いので
倉本発17:27の電車で、前述の上松駅まで戻った

今夜の宿は、上松宿の「旅館田政(たまさ)」である


(長野県上松町倉本)



上松宿・旅館田政




今回の宿は上松宿の江戸時代から続いている
旅館田政である

建物は昭和20年の大火で全焼し立て替えたもの

到着したのは夕方の6時でまっ暗闇であった
写真は翌朝撮ったものである

食べきれない程の豪華な夕餉であった


(長野県上松市)
0611/0612

歩行略図

歩行距離 15.6km
(青線部を歩行










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作者 Hitosh