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旧中山道六十九次 ぶらり徒歩の旅 26

倉本〜39須原宿〜40野尻宿〜十二兼


作者 Hitosh



倉本


JR倉本駅







昨夜は上松宿に泊まった
そして翌朝、上松発7:52の電車で倉本に着いたのが7:59である

ここより、旧中山道へ復帰である
生憎の曇空で、山にはガスが掛かっていた


(長野県上松町倉本)



39須原宿


大桑村・上郷



長野県の大桑村上郷に入った

右下が木曾川である
河岸段丘上の細い道(写真左)がかつての中山道であった


(長野県大桑村上郷)



上郷・木曽川






木曽川に下りて、ここで休憩した

この辺は淵になっており、綺麗な水面に紅葉が映えていた


(長野県大桑村上郷)



JR須原駅



中央本線の須原駅である
駅前には須原宿名物の「桜の花」を売る店(大和屋)が今も営業していた

塩漬けの桜の花を熱湯に入れて飲むもので
いまでも結婚式等のめでたい席で利用されている


(長野県大桑村須原



39須原宿・町並





中山道六十九次の39番目の宿場、須原宿に入った

須原宿は本陣1、脇本陣1、旅籠24軒の宿場であった
名物は前述の花漬ととろろ汁であった

また、幸田露伴の小説「風流仏」、島崎藤村の「ある女の生涯」の舞台となったところである


(長野県大桑村須原


須原宿・本陣跡







上の写真がかつての脇本陣で
今でも名酒「木曾のかけはし」の蔵元として営業している

その右が本陣跡である

2番目の写真は、須原宿の案内板と水舟である
水舟は木を舟のように刳り抜いて、中に湧き水を入れたものである

街道沿いにたくさん設けられ、地元の人の生活用水になっている
かつては宿場の街道沿いに17の水舟があった由

今でも5箇所が残されている


(長野県大桑村須原)



須原・定勝寺






須原宿の定勝寺(じょうしょうじ)は
今から600年前の室町時代初期(永享2年、1430年)創建の古刹である

境内の蓬莱庭園の紅葉が見事であった

民謡「須原ばねその里」の大きな石碑が境内にあった
ばねそとは、はね踊りと衆という意味で
定勝寺を建てた大工の棟梁が京から伝えたという

「木曾の須原で 自慢のものは 須原ばねそと定勝寺 
すばらしーぞえ 須原の桜
漬けて 煮え湯の中で咲く
漬けて 煮え湯の中で咲く ・・・・」と謡われている

寺の前に立派な水舟があった


(長野県大桑村須原


須原宿・上木戸



須原宿の京側のはずれである
次の宿場は40番目の宿場・野尻宿である


(長野県大桑村須原宿


大桑

伊奈川橋






須原宿を抜けると、次は大桑に入る
写真中央の鉄橋が今の伊奈川橋である

栄泉の浮世絵「木曾路駅 野尻」に描かれたところは
さらに上流である

写真右より木曽川、そして現国道19号線、中央本線、そしてカメラの位置が旧中山道である


(長野県大桑村大桑



大桑・町並み





大桑の町並みである
JRの大桑駅が近くにある

雨が酷くなり、駅舎を借り、雨宿りをした

ここで、今日東京から来たという中年の女性3人が
街道歩きの準備をしていた
大桑からスタートして、今日は妻籠まで行くという

やはり順番に中山道を歩き、京都を目指しているという
日本橋を出発して、3年目とのこと
一人はすでに東海道五十三次を踏破済みとのことであった

京都にはいつ到着できるか、全くわからないと言っていた


(長野県大桑村大桑


40野尻宿


中央本線踏切



雨が小降りになったので、大桑駅を出発した

大桑を出て、中央本線の踏切を渡ると旧中山道40番目の宿場・野尻宿に入る

野尻宿は外敵を防ぐために
ところどころで道を左右に曲げてあり
「野尻宿の七曲り」として有名であった


(長野県大桑村野尻



野尻宿・町並み




野尻宿は本陣1、脇本陣1、旅籠19軒の宿場であった

明治27年の大火で、その面影を消失してしまったという


(長野県大桑村野尻



十二兼








野尻宿を出て険しい山間の道を進むと、南木曽町に入る

途中で、休憩をしていたら大桑をスタートした女性3人に追いつかれた
これから南木曽駅まで歩き、そこからタクシーで
今夜の宿・妻籠に向かうという
南木曽駅に着く頃には真っ暗となろう
元気な小母さんたちである

こちらは、この十二兼(じゅうにかね)駅(下の写真)で街道歩きを中断した
3時前であるが、辺りは薄暗くなっていた

14:47発の各駅電車で塩尻に着いたのは16:13であった
塩尻発17:02の特急あずさで帰宅する


(長野県南木曽町十二兼

0611/0612

歩行略図

歩行距離 17.2km
(青線部を歩行









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作者 Hitosh