与坂
与坂立場跡
弘法大使二十六番札所
落合宿のおがらん四社を出ると、急な坂を下り
再び坂を上っていく
すると右側にあるのが与坂(よさか)立場跡である
越前屋と言う店で、「与坂の三文餅」が名物であった
米の粉で出来た餅に黒砂糖を煮詰めて塗ったものという
街道を挟んで反対側には弘法大使二十六番札所がある
ここから、再び急坂を下ることになる
美濃路に入っても、街道は起伏の多い道となっている
(岐阜県中津川市与坂)
子野
子野の一里塚
坂を下って行き、三五沢(さごさわ)橋を渡ると
右側に子野(しの)の一里塚跡がある
美濃路に入って初めての一里塚で
日本橋より84番目(約336km)のものだ
下の家並みは子野の集落である
(岐阜県中津川市子野)
覚明神社
子野の集落を抜けると又上り坂となり
上ったところに覚明(かくめい)神社がある
覚明上人は、木曾御嶽講の開祖として知られている
天明5年(1785年)、木曾御嶽を開くために
ここにあった茶屋に泊まったのを記念して建てたという
(岐阜県中津川市子野)
小野の地蔵堂
地蔵堂川の手前にある小野の地蔵堂石仏群である
地蔵尊、観世音、庚申塔等、多数の石仏が纏められている
大きな枝垂桜の古木が見事であった
ここからは、45番目の宿場・中津川宿が一望出来た
(岐阜県中津川市子野)
45中津川宿
尾州白木改め番所跡
さらに坂道を下ると、右側に尾州(尾張藩)白木改(あらため)番所跡がある
檜などの木曾の木材の取締りを行ったところである
(岐阜県中津川市)
中津川・旭ヶ丘公園
さらに下ると、左手に旭ヶ丘公園がある
かつては天神の森と言われていたところだ
本陣や、問屋、庄屋などを勤めた中津川宿の人の多数の句碑がある
その中に、芭蕉の句碑
「山路来て 何や羅遊かし 寿み連草」があった
ここから中津川宿の町並みが見下ろせる
中央を縦に走る道が旧中山道である
(岐阜県中津川市)
45中津川宿・高札場跡
高台にある旭ヶ丘公園より茶屋坂を下ったところが
中山道45番目の宿場・中津川宿の入口である
高札場があったところだ
中津川宿は本陣1、脇本陣1、旅籠29軒の大きな宿場であった
天保14年(1843年)で、総家数は228軒もあったという
(岐阜県中津川市)
JR中津川駅
今回は、ここで街道歩きを中断した
JR中津川駅より特急「ワイドビューしなの17号」で塩尻に向かった
名古屋経由か塩尻経由か迷うところである
塩尻経由の方が時間はかかるが、費用が3000円も安い
中津川駅前に「栗きんとん発祥の地」の碑があった
(岐阜県中津川市)
0612/0612