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旧中山道六十九次 ぶらり徒歩の旅 33

広久手〜46大井宿〜恵那駅


作者 Hitosh



45大井宿


岡瀬川



岡瀬川より坂を下って行くと
正面にこんもりとした山が見えてくる

根津神社のある甚平(じんぺい)坂である
あの峠を超えると、中山道六十九次の46番目の宿場・大井宿である


(岐阜県恵那市岡瀬川)




甚平坂





陣平坂の上は公園になっていた

中山道の説明と東屋が出来ている
ここで休憩した

広重はここから見た光景を浮世絵にしている
左手遠くに御嶽山、右に恵那山、そして坂を上る2組の馬子と旅人を描いている
見通しの良いところだ

なお、甚平坂の甚平とは
頼朝の家臣で信濃の国根津に住む甚平是清の名前からきている

信濃の桔梗ヶ原(前述)に住む化け鳥「八重羽のきじ」の退治を
幕府に命じられた甚平が、ここまで追って来て
力尽き死亡したという

その時死んだ、馬と犬を埋葬したのが公園内にある
馬塚と犬塚で、その石碑が建っていた

根津神社の境内には、妻が建てたという
甚平の供養塔がある


(岐阜県恵那市)




菅原神社・寺坂





中央自動車道の上に架かる恵那峡橋を渡ると
右手に菅原神社がある

ここより眼下に広がっているのが46番目の宿場・大井宿(現恵那市)である
下の写真は、坂(寺坂)の途中にある上宿・石仏群

寺坂の由来は近くにある長国寺への坂の意である
長国寺はかつては長興寺といい
応仁の乱(1466〜77年)で消失後に再建され時に
名前を長国寺と改められた

前述の甚平と西行法師の位牌が残されているという


(岐阜県恵那市)




五砂坂・高札場跡



明知鉄道の下を潜ると、右手に高札場跡がある
大井宿の入口です

高札場の先100m先は、左に直角に道が曲がっている
宿場特有の桝形で、大井宿には6箇所もの桝形がある


(岐阜県恵那市)



大井宿本陣跡





大井宿本陣跡である
立派な門と塀である
岐阜県の史跡に指定されている

下の写真の門の横の松は樹齢300年以上とのこと


(岐阜県恵那市)



大井宿・町並み








上の写真は、犬矢来のある上問屋(本酒屋)
2番目の写真は、大井宿の有力な商家で庄屋であったひし屋・古山家

下の写真は旅籠跡で、大井宿には旅籠は41軒もあり
美濃16宿では一番数が多かった
なお、中山道全体では9番目である

この家の前が下問屋場跡であった
大井宿には上、下2箇所の問屋場があった


(岐阜県恵那市)


旧旅籠、庄屋宅





3つ目の桝形を曲がると左手に、元旅籠の「角屋」である
現在も旅館「いち川」として営業している

下の写真は、大井村庄屋・古屋家である


(岐阜県恵那市)

市神神社





次の桝形の前に市神神社がある

大井宿の氏神様で
毎年1月7日行われる例大祭(七日市)は
付近の道路は歩行者天国となり、大層な賑わいとか

もともとは、この近くで良質のたばこを産出したので
毎年1月7日にたばこ市を開いたのが始まりとのこと


(岐阜県恵那市)

阿木川・大井橋





最後の6番目の桝形を曲がると、阿木川に架かる大井橋である
ここが大井宿の西の木戸であった

かつては木の橋が掛かっていた
今は、橋の欄干に広重の中山道六十九次の浮世絵が飾ってあった

今日は、ここで街道歩きを中断し
恵那駅に向かった

今夜の宿は、駅近くのエナ・プラザ・ホテルである


(岐阜県恵那市)



JR恵那駅







ホテルに荷物を置き、恵那の町を歩いてみた

恵那駅は、中央本線と明知鉄道の駅である
明知鉄道は元国鉄で、現在は第3セクターの明知鉄道(株)となっている
終点の明知駅には「日本大正村」がある

駅近くのうなぎ料理店「あたり屋」で夕食を取った
甘みの強いうな丼定食であった

酒のつまみは自家製のイカの塩辛であった


(岐阜県恵那市)

0701/0702


歩行略図

歩行距離 3.17km
(青線部を歩行)




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作者 Hitosh