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旧中山道六十九次 ぶらり徒歩の旅 34

恵那駅〜西行塚〜十三峠・西坂


作者 Hitosh



恵那


恵那・阿木川





恵那駅のプラザホテルを、朝の6:30に出発
辺りは未だ薄暗かった

上の写真は阿木川に架かる駅前の神の木橋より撮影したものだ
煙は製紙工場(王子製紙系の中央板紙(株))である


下の写真は早朝の恵那駅前である
駅で、昼食用のサンドイッチとお握りを購入する

今日の予定は、美濃路の難所・十三峠を超えて47番目の宿場・大湫宿
そして琵琶峠超えて
次の宿泊予定地である、山の中の48番目の宿場細久手宿である

起伏の多い山道を歩くことになる
気合を入れての出発となった


(岐阜県恵那市)




中山道・浸水防止壁



中山道に復帰した
大分明るくなってきた

犬矢来のある旧家(中野村庄屋)である
右下の石は、永田川の浸水防止壁である

この石の縦溝に板を挟み、洪水のときの浸水防止とした


(岐阜県恵那市)



永田川・長島橋



永田川に架かる長島(おさしま)橋
ここに橋場の茶屋があり賑やかなところであったとか

木の欄干に灯りを点した常夜灯がなかなか粋である


(岐阜県恵那市)

十三峠

十三峠・西行坂



JR中央本線の踏切を渡ると、昔の中山道らしい道となる
これから、次の宿場・大湫宿までは約14kmの山道となる

十三峠といわれる難所だ
上り下りが13回あるということである

実際には20あるといわれている道である


正面のこんもりした山は西行塚である
最初の坂道・西行坂となる

周囲の田圃は霜で真っ白であった


(岐阜県恵那市)



西行塚





石畳のある西行坂を上ると、右手に西行法師塚(五輪塔)がある
室町時代に作られたものだ

西行法師は2度目の奥州への行脚を終えると
この恵那で晩年の3年を過ごしたという

途中に西行硯水(すずりみず)公園がある
西行が、ここの湧き水を使って墨をすったという

下の写真は西行塚から恵那市内をみたものだ
煙突の煙は製紙工場のもの

そして、背後の山は恵那山である
朝の逆光を受け、黄金色に輝いていた


(岐阜県恵那市)



旧中山道



西行塚の急坂を下り、さらに坂を上ると、前方が開け
両側に槙ヶ根の一里塚が見えてくる

石の道標には中山道と刻まれていた


(岐阜県恵那市)



槙ヶ根一里塚







槙ヶ根(まきがね)の一里塚は左右とも残されている
写真は左側のものだ

槙ヶ根の立場があったところである
九戸の茶屋があったという

一里塚からの眺めは素晴らしかった
今は桜の名所となっている

この辺の下はJR中央本線の新槙ヶ根トンネルとなっているところだ

振り返ってみると、日本橋を出て
一度もトンネルの中を歩いたことが無かった

当然のことであるが、昔の人は
例え急峻な山道でも歩いて越えたのである


(岐阜県恵那市)


追分道標



追分道標には
左伊勢名古屋、右西京大坂道と刻まれている

中山道から伊勢参りをする人は
ここで左の坂道(下街道)を下って行った

旧中山道は、写真の右の道である


(岐阜県恵那市)

首無し地蔵



街道左側に、ドッキとする様な首無し地蔵(左)があった
宝暦元年(1756年)、村人(武並町美濃)により建てられたもの

昔、この地蔵の前で2人の中間(ちゅうげん)が休憩していて
寝込んでしまった

一人が目覚めると、連れが首を切られて死んでいた
辺りを見回してもそれらしき犯人は見当たらなかった

連れが襲われたのに、黙って見ているとはと怒り
地蔵の首を切り刎ねてしまった

村人が、地蔵の首を元に戻そうとして
何度も試みたがどうしてもつかなかった

以後、首なし地蔵と呼ぶようになったとか


(岐阜県恵那市)

乱橋




坂を下ると乱橋(みだれはし)である

むかしは「石はしる音すさまじき流」れに架かる橋であったとか
今は山間の小さな谷川に架かる橋である

急坂で、旅人の息が乱れたからとか、女性の着物の裾が乱れたからかとの
言い伝えも残されている


(岐阜県恵那市)



四ツ谷集落





乱橋からは緩い上り坂となる

やがて、目の前に集落が見えてきた
四ッ谷の集落である


(岐阜県恵那市四ッ谷)



紅坂一里塚




集落を抜けると、再び山道となる

紅(べに)坂を上ると
左右に紅坂の一里塚が残されている


(岐阜県恵那市四ッ谷)



三社灯篭・佐倉宗五郎大明神





紅坂の一里塚を抜けると、下り坂となる
坂を下った辺りが田尻の集落である

右手に大きな石灯篭がある
三社灯篭と呼ばれている常夜灯だ

そして左手にあるのが
佐倉宗五郎大明神である

言うまで無く、佐倉宗五郎は関東下総の農民である
領主の重い年貢に苦しめられた農民を代表して
お上に訴え、願いは叶えられたが
磔となり、家族も打ち首となった

その宗五郎が、村の守り神として
祀られるようになったようだ


(岐阜県恵那市田尻)



田尻・深萱立場跡



さらに下ると、田尻の集落のほぼ中央に深萱(ふかがや)の立場跡との碑がある

この辺が、大井宿と次の宿場・大湫の中間に当たり
茶屋や立場本陣(加納家)、馬茶屋(馬を休ませる)があった

餅や桑おこわなどが土地の名物であった


(岐阜県恵那市田尻)



十三峠・西坂




深萱の立場を出ると、また鬱蒼とした西坂と呼ばれる上り坂となる

三城峠を越えると、恵那市から瑞浪市に変わる
もう少しで、次の47番目の宿場・大湫(おおくて)である


(岐阜県瑞浪市)
0701/0702


歩行略図

歩行距離 7.99km
(青線部を歩行)




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