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旧中山道六十九次 ぶらり徒歩の旅 38

49御嵩宿〜50伏見宿


作者 Hitosh



49御嵩宿


井尻集落



耳神社より急坂を下ると井尻の集落に出る
今までの山間の道から、広い平野の中に飛び込んだような感じがするところだ

これからは旧中山道は、当分木曽川沿いの平地歩きとなる
目の前に、国道21号線(現中山道)が見えるところである


(岐阜県御嵩町井尻)




和泉式部廟所



旧中山道と現中山道が交わるところに
この和泉式部廟所がある

平安時代の歌人である和泉式部が、病気になり
治療の甲斐も無く、ここで寛仁3年(1019年)に亡くなったところという


(岐阜県御嵩町井尻)




49御嵩宿





国道を少し歩くと、旧中山道は、左手の細い道に入る
そこが、49番目の宿場御嵩(みたけ)である

今でも、古い町並みが残されている

犬矢来のある家はこの地に豪商であった竹屋である
御嵩町指定有形文化財に指定されている

なお、御嵩の地名は、御嵩町に平行して流れている、可児(かに)川の対岸にある
金峰神社からきている

金峰神社は、御嶽と呼ばれた吉野の蔵王権現を勧請したため
この地を、御嶽、御嵩と呼ぶようになったようだ


(岐阜県御嵩町)


脇本陣・本陣跡





御嵩宿の脇本陣と本陣跡である

本陣の記録によると
天保11年(1840年)から22年間で
143家が利用したとのこと

年平均6.5回利用されていたことになる
これでは、当然赤字である
どこの宿場も本陣は名誉職である、経営的には成り立たなかった様だ

御嵩宿は本陣1、脇本陣1、旅籠28軒の宿場であった


(岐阜県御嵩町)



みたけ館



新設の郷土館「みたけ館」である

町の文化財や旧中山道の資料を収集し、資料館と図書館の
複合施設となっている


(岐阜県御嵩町)



願興寺




さらに進むと右手に大きな伽藍がある
蟹薬師として知られた願興寺である

寺の近くの池から
1寸8分の薬師如来が、多数の蟹の背に乗って
現れたことから蟹薬師と呼ばれるようになったとか

寺伝によると、弘仁6年(815年)
最澄が、ここを通った時
病で苦しむ人が多かったため
薬師如来を彫って、安置したのが始まりとのこと

現時の本堂は、天正9年(1581年)に
再建されたもの


(岐阜県御嵩町)



名鉄・御嵩駅



御岳宿のはずれ、願興寺の斜め前にある
名鉄の御嵩駅である

名鉄広見線の終点である
電車はここで折り返し運転となっている

なお、広見線は愛知県犬山市と岐阜県可児市、そしてここ御嵩町を結ぶ線である


(岐阜県御嵩町)



御嵩・西屋敷町



御嵩駅の前で右に曲がり、さらに左に曲がったところである
宿場の西の出口で、大きな桝形となっているところだ


(岐阜県御嵩町)


関ノ太郎・首塚



街道右手に関ノ太郎・首塚がある
側に「鬼首塚遺跡」と彫られた石柱が立っている

この近くに手に負えない関ノ太郎と呼ばれた盗賊がいた

余りの酷さに、領主の纐纈盛康(こうけつもりやす)が
前述の蟹薬師にお願いすると
太郎はたちまち捕らえられ、首を刎ねられたという

ここは、その墓とのことである


(岐阜県御嵩町)


比衣一里塚跡





比衣(顔戸、ごうど)の一里塚である

辺りは、いかにも穀倉地帯という感じであった

(岐阜県御嵩町)

50伏見宿


伏見宿・本陣跡







広い田圃の先に、中山道50番目の宿場・伏見が見えてきた

かつての宿場に入ると、左側に伏見宿の本陣跡があった

本陣1、脇本陣1、旅籠29軒の宿場であった

この伏見宿は、この右側を走る木曽川の船着場・新村湊と共に
発展してきた町であった

中山道を陸路で運ばれた物資は、ここで川舟に積み替え
下流の桑名、名古屋に運ばれた
又名古屋方面からの荷はここで陸揚げされた


(岐阜県御嵩町




伏見宿・町並み








今回の徒歩の旅は、ここ伏見宿で中断した
旧街道を左に折れ、名鉄の明智駅に向かった

写真はその途中の道である
上の写真の右側は浄覚寺である


(岐阜県御嵩町)




可児川



木曽川支流の可児(かに)川である

この川に架かる開貝戸橋を渡ると名鉄の明智駅である
ここからは岐阜県可児市となる


(岐阜県可児市平貝戸)




名鉄・明智駅



名鉄の明智駅である

ここより電車に乗り、新可児駅で乗り換え、名古屋に向かった
名古屋までの所用時間は約1時間である

今回の中山道の旅で、初めての名古屋回りとなった
やはり、名古屋からの新幹線は中央本線と違い、楽であった

あっと言う間の帰京と言う感じである


(岐阜県可児市平貝戸)
0701/0702



歩行略図

歩行距離 8.18km
(青線部を歩行)




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作者 Hitosh