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旧中山道六十九次 ぶらり徒歩の旅 40

坂祝〜52鵜沼宿


作者 Hitosh



坂祝


坂祝町入口



太田宿(美濃加茂市)を抜けると木曽川右岸に沿った町、坂祝町である
難読町名として有名なもので、「さかほぎ」と読む

ほぐ(祝ぐ)とは、元来は祝詞を述べ神意を伺うの意である

調べてみると、坂祝は古くからある集落で
平安時代の記録「延喜式神名帳」には
すでに「坂祝神社」の名が残されている


(岐阜県坂祝町)



日本ライン・ロマンチック街道







木曽川の右岸(旧中山道)は、ドイツのロマンチック街道に因んで
日本ライン・ロマンチック街道として整備されている

なお、日本ラインとして命名された頃は
今よりも水量が多く、幅も広く、流れも急であった由


(岐阜県坂祝町)



坂祝石仏群/城山





ロマンチック街道を歩いていると、正面に城山(276m)が見えてきた

旧中山道はこの山の左裾野を通る
木曽川が直ぐ側を流れているところで、中山道は山麓の岩を穿った細い道であった

城山の頂上には、猿啄(さるばみ)城址(展望台)が見える
永禄8年(1565年)、織田信長の美濃攻めにより落城
天正3年(1575年)廃城


(岐阜県坂祝町)



旧中山道





城山山麓に残された旧中山道
左下を国道21号線と木曽川が走っている

右手はJR高山本線である


(岐阜県坂祝町)

52鵜沼宿

謡坂







城山、表平山の麓を回ると各務原市(かかみがはらし)となる
旧中山道は、ここで木曽川沿いから離れ、山間の坂道となる

謡坂(うとうさか)と呼ばれていた坂で
久しぶりの坂道である

途中より石畳が復元されていた
下の写真はうとう峠一里塚跡である


(岐阜県各務原市鵜沼)



合戸池・鵜沼台







うとう峠を越えると視界が一変した
山裾が、住宅街となっている
緑苑と呼ばれる団地である

さらに、坂を下ると52番目の宿場鵜沼宿の町並みが見えてきた


(岐阜県各務原市鵜沼台)



52鵜沼宿入口






うとう峠を下ると、52番目の宿場鵜沼宿の入口となる
坂の途中より、正面に犬山城が臨める(上写真)

「ここは中山道鵜沼宿、これよりうとう峠」の道標(下写真右)がある


(岐阜県各務原鵜沼)


鵜沼宿本陣跡/町並







上の写真は鵜沼宿本陣跡である

現在の建物は、明治24年の濃尾大地震で倒壊したため
犬山市の魚住家を移築したものとか

鵜沼宿は本陣1、脇本陣1、旅籠25軒の宿場であった
鵜沼は古代から続く古い宿場で、東山道の宿駅でもあった


(岐阜県各務原市鵜沼東町)


二宮神社/西木戸





二宮神社横の芭蕉歌碑群
この二宮神社は古墳の上に建っている

神社の右横には
「野ざらし紀行」の碑と芭蕉歌碑である

芭蕉は大垣を出て、鵜沼で泊まり
ここから木曽川を船で下り桑名に向かったと言う


下の写真は、鵜沼宿西木戸付近である

今回の徒歩の旅はここで中断し
名鉄各務原線の鵜沼宿駅より木曽川を渡り、犬山に向かう

犬山城が正面に見えるホテルに泊まった


(岐阜県各務原鵜沼西町)


名鉄鵜沼宿駅





鵜沼宿駅は無人駅であった
左の電車(下写真)はJR高山本線である

名鉄各務原線で、7分で犬山駅に着いた


(岐阜県各務原市鵜沼西町)
0702/0703


歩行略図

歩行距離 9.0km
(青線部を歩行)




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作者 Hitosh