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旧中山道六十九次 ぶらり徒歩の旅 41

犬山〜二十軒茶屋


作者 Hitosh



犬山


名鉄・犬山駅



名鉄鵜沼宿駅より各務原線で木曽川を渡り、3つ目の駅・犬山駅に17:30に着いた

犬山市の中心にある駅で
名鉄犬山線、小牧線、そして広見線の乗り換え駅である

犬山の地名は古いが、由来は諸説あるようだ

曰く、犬を使って狩を行ったところ、平安時代の丹波郡小野郷の山間部であったことから「おののやま」が
転訛した、大懸神社の戌亥(いぬい)の方角の山から転訛した等の説がある

今夜は駅近くの犬山シティホテルに泊まった


(愛知県犬山市)



犬山市街





犬山シティホテルの窓から、犬山城方面を俯瞰したし写真である
下は、ホテル近くの鰻料理屋「東山」での夕食である

名古屋流の表面がカリッとして、中が柔らかい鰻である

関東に比べ香ばしく、かなり甘目ではあるが
なかなか旨い鰻であった


(愛知県犬山市)



針鋼神社/三光稲荷





翌朝5時に起床、朝食を取り、朝6時にホテルを出た
辺りはまだ薄暗かったが、犬山城に向かった

さすがこの時間では、観光客はいなかった

写真は、城山の麓である
右に針綱(はりつな)神社と左に三光稲荷が並んでいる

ここが犬山城の上り口となっている


(愛知県犬山市)



犬山城







犬山城は白帝(はくてい)城とも呼ばれていた

文明元年(1469年)、当時の室町幕府の管領であった
斯波義郷の家臣織田広近が築いたのが始まりである

その後、織田信長に攻められ落城

江戸時代には、尾張徳川家の家老格であった
成瀬正成が3万5000石で入封し明治を迎える

当時のままの城で、天守は現存するものの中では最古とのこと
国宝に指定されている


(愛知県犬山市)

犬山城・木曽川





城を下りて、堀の代わりとなっている郷瀬川沿いに木曽川に出た
広い川が目の前に展開している

上の写真の正面の形の良い山は、伊木山(173m)である

川沿いに上って、名鉄の犬山遊園駅に向かった
素晴らしい遊歩道となっている


(愛知県犬山市)



名鉄・犬山遊園駅





犬山遊園駅より、名鉄各務原(かかみがはら)線に乗り
昨日乗車した鵜沼宿駅に着いたのは、朝の7:10であった

ここから旧中山道に復帰した


(愛知県犬山市)

各務原・鵜沼


旧中山道



鵜沼宿より、旧中山道は緩い上りとなり、高台となっている
左下が鵜沼の市街で、その先が木曽川となっているところである

ここから、木曽川と別れて
広い台地である各務原を歩いて、加納宿(岐阜市)に向かう

この各務原は、かつては各務野(かかみの)と言い原野であった

揖斐川上流の大野と、大垣市の青野と合わせて
三野(みの)と呼ばれ、美濃国の語源であった


(岐阜県各務原市鵜沼西町)


鵜沼・翠池





街道の右側には用水用の池が多くあるところである

写真はその一つ、翠(みどり)池である
綺麗な池で、渡り鳥が餌を啄ばんでいた


(岐阜県各務原市鵜沼西町)


石仏群/衣装古墳/空安寺







旧中山道沿いにある見事な石仏群と
直径50mの衣装塚古墳、そして空安寺である

この辺から鵜沼羽島町に入る

さらに進むと、右前方に各務(かかみ)山が見えてきた


(岐阜県各務原鵜沼西町)


各務山



各務山は標高170mの低い山であるが
周囲が低いため、結構目立つ山となっている

手前の踏み切りはJR高山本線である
直ぐ右に各務原駅のあるところだ


(岐阜県各務原市鵜沼各務原町)


二十軒茶屋・神明神社





さらに進むと鵜沼三ツ池町交差点である
その手前にあるのが神明神社と三つ池公民館である

かつて、この辺に二十軒茶屋と呼ばれた立場があった
今では、当時の名残は、名鉄各務原線の二十軒駅があるのみである


(岐阜県各務原鵜沼三ツ池町)
0702/0703


歩行略図

歩行距離 6.70km
(青線部を歩行)




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作者 Hitosh