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旧中山道六十九次 ぶらり徒歩の旅 48

58関ヶ原宿〜陣場野


作者 Hitosh



58関ヶ原宿


若宮八幡宮



旧中山道が元国道21号線に合流したところが
58番目の関ヶ原宿である

この若宮八幡神社が東見附辺である


(岐阜県関ヶ原町)



58関ヶ原宿







中の写真が脇本陣跡で、下の写真が本陣のあったところだ
現在は八幡神社で境内にはスダジイの大木(下の写真右)がある
本陣跡スタジイの標識が建っている

本陣1、脇本陣1、旅籠屋33軒


(岐阜県関ヶ原町)


元旅籠屋・旅館枡屋








旧中山道に面した旅館「枡屋」である

上の写真は現在の建物で、家族が住んでいる
その奥が、以前の建物(江戸後期)が残されており、客室になっている

2番目の写真は、消失前に撮影したものである
創業は永長元年(1096年)とのこと
900年も続いている旅館である

今夜はこの部屋(下写真)に宿泊した
古い部屋ではあるが、冷暖房完備であった
なおトイレも温水洗浄便座で、風呂も自動であった

期待の食事は、歴史のある旅館には珍しく、猪(豚)鍋であった


(岐阜県関ヶ原町)



関ヶ原、東首塚







翌朝5時に旅館を出て
朝食前に関ヶ原古戦場巡りをした

旧中山道からJR関ヶ原駅の横の陸橋を渡ると目の前が古戦場である

その直ぐ左にあるのが、家康4男の松平忠吉、後の彦根城主となる
赤備えで鳴らした井伊直正の陣地跡(2枚目の写真)である

福島正則と先陣争いをしたところだ

下の写真は東首塚である

首実検の後の、西軍の武将の首が
大きなシノノキの下に埋められている


(岐阜県関ヶ原町)


古戦場・日の出





古戦場を北上すると、やっと日が昇ってきた
右端の山が丸山で、関ヶ原合戦開始の狼煙を上げたところである

左手前方が決戦場となったところだ


(岐阜県関ヶ原町)



関ヶ原歴史民族資料館



らに進むと右手にあるのが関ヶ原民族資料館である
関ヶ原の合戦の中心地に建てられている

関ヶ原合戦の様子を詳細に描写した合戦図屏風や
甲冑、火縄銃、野じり等が展示されている


(岐阜県関ヶ原町)



陣場野公園、家康最後の陣跡







家康が、最初に本陣を構えた桃配山から、ここに前進し最後の陣を構えたところである

桃配り山では戦況が良く見えなかったのと
また、戦況が好転しないため、士気を鼓舞するために
激戦地のここまで陣を進めたとのこと

下の写真は、戦いの後、東軍の諸将をここに集め
西軍の首実検を行ったところ(下写真)である


(岐阜県関ヶ原町)



関ヶ原決戦場、笹尾山





関ヶ原決戦場
すぐ背後(上写真中央左)が石田三成が陣を構えた笹尾山(下写真)である

家康の最後の本陣とわずか1.5kmの所である

三成の首を取ろうと絶え間なく攻める東軍と、
必死に応戦する西軍との最後の激戦地であった


(岐阜県関ヶ原町


西首塚



旅館に戻り、旧中山道を少し進んだ右手に西首塚がある

ここも、関ヶ原合戦で死んだ武将の首を埋めたところである

西首塚を抜けると、次は不破の関を越え
美濃路最後の宿場・今須宿である


(岐阜県関ヶ原町)

0704/0705


歩行略図

歩行距離 3.69km
(青線部を歩行)




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作者 Hitosh