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旧中山道六十九次 ぶらり徒歩の旅 50

美濃近江国境〜60柏原宿


作者 Hitosh



不破関


不破関関庁跡、不破関跡





関ヶ原宿を抜けると、旧中山道は国道21号線から左に入る
少し進むと右手に不破関関庁跡碑がある
そして左手には不破関跡碑がある

この辺りに中心建物があり、関内を東西に
東山道が走っていた

上の写真の社の中は兜石である
壬申の乱の時、天武天皇が兜を掛けた石と伝えられている

下の写真は、不破の関守の屋敷跡という

不破関は、鈴鹿関(三重県)、愛発関(あらち、敦賀市)と共に、古代三関(の一つであった


(岐阜県関ヶ原町)



不破関、藤古川





不破関資料館より藤古(ふじこ)川を見下ろした写真である

中山道はこの坂を下り、藤古川を渡っている
如何にも天然の要害となっているところだ

なお、この藤古川は壬申の乱(天武元年、673年)の戦場となったところである
手前(東)に吉野軍(大海人皇子、後の天武天皇))、川の反対側(西)に近江軍(大友皇子)が陣を敷いたところである

なお、藤古川は、関所の側を流れていることから
関の藤川とも呼ばれ、歌枕にもなっていた


(岐阜県関ヶ原町松尾)

59今須宿

今須峠





不破関を出ると今須峠越えとなる

当時は茶店があり、賑わっていたというが
今は当然、何も無い

峠を越えると前方に、中山道59番目の宿場・今須宿が見えてきた

この今須宿が、美濃16宿の最後の宿場で、その先は近江となる


(岐阜県関ヶ原町)



今須一里塚



今須宿の入口に美濃最後の一里塚が左側だけ残されている


(岐阜県関ヶ原町今須)


59今須宿






今須橋を渡ると59番目の宿場・今須に入る

今須宿は本陣1、脇本陣2、旅籠屋13軒であった

中の写真が本陣跡で、下の写真が問屋場跡である


(岐阜県関ヶ原町今須)



西見附付近







今須宿の西方見附付近である
古い常夜灯が印象的であった

文化5年(1808年)に建てられたものである


(岐阜県関ヶ原町今須)



美濃近江国境







今須宿を抜けると、また上り坂となる
ここも今須峠と呼ばれていた

美濃国と近江国の国境である
国境は中の写真の細い溝であった

この溝を挟んで両国の蕃所や茶屋があり
寝ながら他国の人と話が出来たので
「寝物語の里」とも言われていた

野ざらし紀行の芭蕉が熱田からの帰り
ここで詠んだ句が
「正月や 美濃と近江や 閏月」とか

さて、ここで国境(くにざかい)の溝を渡って
これからは近江路となる

長かった旧中山道歩きも、いよいよ最後の道程(みちのり)となった


(岐阜県関ヶ原町今須〜滋賀県米原市)

0704/0705


歩行略図

歩行距離 4.61km
(青線部を歩行)




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作者 Hitosh