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旧中山道六十九次 ぶらり徒歩の旅 50

美濃近江国境〜60柏原宿


作者 Hitosh



近江路


美濃・近江の国境





美濃近江の国境の細い溝を渡るといよいよ近江路である
この溝は昔も細い溝であったとか

国境を越えて右側に、「寝物語(ねものがたり)の里」と彫られた立派な石碑がある

由来によると
国境の溝を挟んで茶屋が並び、寝ながらにして隣の国の人と
話が出来たことから、寝物語の里と呼ばれていたとのこと


(滋賀県米原市柏原)



長久寺集落







国境を越えると、長久寺(ちょうきゅうじ)の集落に入る
いよいよ近江路である

かつては長久寺と言う寺がここにあったが今は移転して無い

近江路に入って目に付くのが
家の木部を赤く塗った家が多いことである(中の写真)

柿渋等は、古くから建材の防水・防虫・ 防腐剤として
利用されているが、此方ではべんがら塗り(べにがら塗りとも)と呼ばれているものである

酸化鉄と削り炭を混ぜ合わせてにかわで溶いて塗ったものとか

何故赤く塗るのかは判らないというが近江特有のものだ
旧東海道を歩いていた時も、近江に入ると、同じ光景を眼にして驚いたことがあった


ここから長久寺の集落を抜けると、楓並木が続いているが
この楓は明治になってから植えられたものである


(滋賀県米原市柏原)


60柏原宿


60柏原宿







60番目の宿場、柏原宿である
この辺の右側に、本陣や脇本陣があったという

今は残されていないが、古い町並みは残されている

中の写真は、元蝋燭屋の助三郎と木板に書かれている
下の写真は、京丸屋という旧旅籠屋である

柏原宿は本陣1、脇本陣1、旅籠屋22軒であった


(滋賀県米原市柏原)


庄屋跡、吉村公三郎実家





右側に「安城家の舞踏会」等で知られた映画監督吉村公三郎氏の実家があった

祖父は柏原宿の最後の庄屋であった
説明によると、ここに問屋場もあったらしい


(滋賀県米原市柏原)



伊吹堂(亀屋左京)、柏原宿資料館、旧家







上の写真は「伊吹堂」と看板を掲げた亀屋左京店である
今も名産・伊吹艾(もぐさ)を扱っている
創業以来350年という

かつては旅籠も兼ねていたとのこと

中の写真は旧松浦邸を利用した柏原宿歴史館
下の写真左はは滋賀銀行の前身柏原銀行で、右は造り酒屋のあったところだ


(滋賀県米原市柏原)



西方見附付近







柏原宿の西見附付近である
柏原宿は全長1400mの細長い町で、天保14年(1843年)で総家数344軒もあったという

柏原を抜けると桜並木となっていた


(滋賀県米原市柏原)



一里塚





桜並木の左手に、一里塚跡があった
今は桜並木であるが、かつては松並木であったところとか

柏原宿を抜けると、次は61番目の宿場醒ヶ井(さめがい)宿である
約5.8kmの道のりである


(滋賀県米原市柏原)

0704/0705


歩行略図

歩行距離 2.76Km
(青線部を歩行)




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作者 Hitosh