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旧中山道六十九次 ぶらり徒歩の旅 55

愛知川〜五個荘


作者 Hitosh



愛知川


愛知川



愛知(えち)川な架かる御幸橋(みゆきばし)を渡ると
東近江市五個荘(ごかしょう)町となる

愛知川はかつては仮橋であったが、天保2年(1831年)に
宿場の商人の寄金で常設の橋となった
「はし銭いらず」の無賃橋であった

明治11年(1878年)、天皇行幸の時に建て替えられ、御幸橋と命名された

不思議なことに、大きな河川であるが、水が皆無であった

調べてみると、川の集水域(川の流域)に比し
平野部の水田面積が圧倒的に多く
慢性的な水不足であったので
殆どすべての水を上流の農業用ダム(永源寺ダム)で堰き止めているとのこと

干上がった河川は、不気味な感じがした


滋賀県愛荘町愛知川


五個荘


五個荘小幡集落







愛知川を渡ると、五個荘(ごかしょう)町の小幡(おばた)の集落である

五個荘は近江八幡や、日野と並び、多くの近江商人を輩出したところである

なお近江商人とは、近江出身で、他国で商いをする商人のこと
天秤1本で、近江の産物を持ち他国で売った後は
その地方の商品を仕入れ、上方に運び売ったという

峠を越える時などは  「天秤1本、千両」  と元気づけながら登ったとのこと

そんな土地柄か、大きな風格ある家並みが続いている町である


(滋賀県東近江市五個荘町小幡)



伊勢道追分





小幡の集落の中に古い道標がある

「右京みち、左いせ、ひの、八日みち」と彫られたもので
享保3年(1718年)に建立されたもの(上の写真)

下の写真で右が旧中山道(京みち)で、左がいせみちである
道標は正面左のガードレールの後ろにあった


(滋賀県東近江市五個荘町)



大同川





さらに進むと、大同(だいどう)川に面して、「てんびんの里中央公園」がある

この大同川は五個荘の町に沿って流れる川で
琵琶湖に流入している川である

なお、五個荘とは、中世の山前荘(やまのまえしょう)日吉大社領に
荘園が5つあったからとのこと


(滋賀県東近江市五個荘町)



三俣集落





やがて五個荘町三俣集落に入る

藁葺き屋根の旧家が未だ何軒か残されている
静かな町並みである


(滋賀県東近江市五個荘町三俣)



片山家



金比羅大権現と彫られた常夜灯と藁葺き屋根の旧家片山家

立場本陣で、大名や公家がここで休憩したという


(滋賀県東近江市五個荘町三俣)



五個荘出口



旧中山道と国道が合流する地点に建っている

てんびんの里、五個荘と掘られた石碑に上は
天秤を担いだ近江商人の銅像である

この先で、五個荘町から安土町に変わる


(滋賀県東近江市五個荘)



五個荘駅前






今回は、ここで徒歩の旅を中断した
近江鉄道の五個荘駅より電車に乗り、米原に向かう

近江商人屋敷を回って来たという名古屋の男性が、電車を待っていた
中山道を日本橋から順番に歩いているというと驚いていた


(滋賀県東近江市五個荘町)



近江鉄道



五個荘から米原に向かう電車の中である
1両編成の電車で、駅は無人駅であった

五個荘から35分で、米原に着く
米原より新幹線で帰宅した


滋賀県東近江市五個荘町)

0704/0706


歩行略図

歩行距離 4.67km
(青線部を歩行)




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