悠々人の日本写真紀行へ移動します




旧中山道六十九次 ぶらり徒歩の旅 59

今宿〜68草津宿


作者 Hitosh



今宿


西池・篠原堤







昨夜は野洲駅前のホテルに泊まった
そして、今日いよいよ草津までの最後のコースである

日本橋を出て、今日で32日目の朝である
野洲駅の6:52発の始発バスに乗り、ここまで来て、旧中山道に復帰した

旧中山道はこの大きな人工池(西池、溜池)の篠原提沿いとなっている

この池の歴史は古く、雄略天皇(418〜479年)が
近江に築いた48池の一つとして伝承されている
鎌倉時代の紀行文「東関紀行」にも記されているという


滋賀県野洲市小堤



今宿辻町の集落







辻町の集落に入った

下の家は、ベンガラ塗りで、玄関には地元の信楽(しがらき)焼きの狸である
近江路を歩いていて、良く目に付く点景である

なお、狸は「他を抜」くと言って、縁起物として当地では人気がある

信楽焼きは狸が有名であるが、元は茶道具が有名であった
「日本六古窯」の一つとして知られているところだ


滋賀県野洲市辻町



桜生史跡公園



街道左手に、良く整備された桜生(さくらばさま)史跡公園がある
この地名は読めなかった

調べてみると狭間(はざま)から来ているようだ
狭間とは山や丘の間に細長く奥深く入り込んだ谷とか、川や池の間に挟まれたところを意味している
桶狭間や田楽狭間が知られている

ここには古代の古墳があり、円山古墳、甲山古墳(写真)と名づけられている

この辺一帯は、弥生時代の大岩山遺跡でもあり
弥生時代の銅鐸(どうたく)が多数発見されたところでもある


(滋賀県野洲市桜生)



小篠原集落







やがて、小篠原の集落に入る

中世の東山道の篠原宿のあったところだ
今でも古い街道の面影が残されている

茅葺屋根の家も何軒か目についた


(滋賀県野洲市小篠原)



朝鮮人街道追分



鳥居本宿で別れ、彦根、安土、近江八幡を通ってきた朝鮮人街道がここで合流する

背後の建物は野洲小学校である


(滋賀県野洲市野洲町)



背くらべ地蔵



野洲の行畑(ゆきはた)にある「背くらべ地蔵」
鎌倉時代のものという

大小二つの地蔵が並んで建っている

子供達がお地蔵さんと背比べをして、右の小さい方の
地蔵と同じくらいの背になれば一人前と言われたとか

ここで毎年7月に「行畑地蔵まつり」が行われている


(滋賀県野洲市行畑)




行事神社



下の写真は背くらべ地蔵の裏手にある行事神社である

珍しい注連縄(しめなわ)が下がっていた
この辺では「勧請縄」あるいは「勧請吊り」と言うそうだ

全国的には「道切り」と言われているものだ
村に悪霊や疫病神などが入ってこないように、縄を張り
境を守る標(しるし)を村の境に置くという

それが発展して、五穀豊穣、村内安全などの願いが
込められるようになったようだ

注連縄の中央の標は、地方により造りが異なっている


(滋賀県野洲市行畑)

67守山宿


野洲川と近江富士



行畑の集落を抜けると、大きな川となる
近江最大の川、野洲(やす)川である

左の形の良い山は近江富士と呼ばれている
三上山(みかみやま、標高432m)だ

中山道を歩いていると、左側に見える山である

野洲川を渡ると、中山道67番目の宿場・守山宿に入る
草津宿までの最後の宿場である


(滋賀県野洲市行畑)



67守山宿




野洲川を渡ると守山宿である
本陣2、脇本陣1、旅籠30軒の宿場であった

「京立ち守山泊まり」と言われ
早朝、京都を出発し、ここで最初の宿をとることが多かったとのこと

京都三条大橋まで、ここから32.1kmである

草津まではわずか5.9kmしかない

いよいよ、この旧中山道69次徒歩の旅もまもなく完了となる
そう思うと感慨無量であった


(滋賀県守山市)



甲屋跡・本陣跡




甲(かぶと)屋の跡である

甲屋は、謡曲「望月(もちづき)」に出てくる守山宿の宿屋で
仇討ちの舞台となっているが
実際は本陣であったという

中央の四角いものは、昔の防火用井戸である


(滋賀県野洲市)



筆忠




旧家の「筆忠」である

当初は、筆屋で、当主は代々「筆屋忠三郎」を継いでいたが
その後、蝋燭を売るようになった店である

今は町家ふれあい館となっている
朝市の会場となっており、琵琶湖で取れた魚介類や野菜等を売っていた


(滋賀県守山市)



石造道標




さらに進むと追分となっている
古い石造道標には「右中山道並美濃路、左錦織寺四十五町、このはまみち」と彫られている

延享元年(1744年)に建てられたものだ


(滋賀県守山市)



守山銀座通り




さらに進むと、左手に守山銀座商店街のゲートがある
この先が、JR守山駅となっている

この銀座通りの前を過ぎると、すぐに守山川がある
ここが、かつての守山宿の西の木戸であった


(滋賀県守山市)

0705/0707


歩行略図

歩行距離 7.01km
(青線部を歩行)





前へ 中山道(2)目次 次へ








悠々人の日本写真紀行

北海道 東 北 関 東 中 部 近 畿 中国四国 九州他

作者 Hitosh