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旧丹後街道 ぶらり徒歩の旅 9

舞鶴・和江〜宮津・石浦




舞鶴


和江・由良川






由良川に架かる八雲大橋を渡ると、道は由良川沿いの畦道となる
前方の山塊(上写真)は丹後富士と呼ばれている由良岳(648m)である

下の写真は由良川の河口方面である
もうすぐ、河口と言う感じのところだ


(京都府舞鶴市和江)


和江神社





やがて左側に和江神社がある
わえ神社と呼ぶ

かつての八雲村字和江である
八雲は、前述の由良川に架かる橋名として残されている

山椒大夫にも出ている地名である
山椒大夫のもとから、厨子王が逃げ込んだ先が
和江の国分寺となっている

また、前天皇の孫にあたる二王子が
父が雄略天皇に殺された時、丹後にに難を逃れ落ち延びて来た

そして、この神社で酒肴を備え開運祈願をしたいう
それに因んで、毎年11月15日には大小2つの桶に
神酒をいれ祭礼を行ってきたとのこと


(京都府舞鶴市和江)


国分寺跡、仏心寺





和江神社を出ると、大きな白い案内板(上写真中央)がある
国分寺跡は、この先100m先左折と書いてある

厨子王が逃げこんだ和江の国分寺である
下の写真は仏心寺で、国分寺はこの先にあったらしい


(京都府舞鶴市和江)


由良川





少し進むと由良岳の裾野が由良川に迫ってくる

手前はサン開発梶i下写真)で、瓦礫類やガラス屑、コンクリート屑の再生業者である

ここを過ぎると、舞鶴市から宮津市に変わる


(京都府舞鶴市和江)

宮津


山椒大夫屋敷跡







宮津市に入ると直ぐ左手に山椒大夫屋敷跡(上写真中央)がある
安寿と厨子王が売られてきたところである

由良川は狭い峡谷を流れているため、氾濫が多く
川沿いの屋敷はすべて高台の上にあった

下の写真は、屋敷跡から由良川を見た写真である


(京都府宮津市上石浦)




上石浦





山椒太夫屋敷跡から道は再び、山沿いの道となる

下に由良川を眺めながらの快適な歩道となっている


(京都府宮津市上石浦)




石浦集落





林の中を抜けると、目の前に石浦の集落があった

街道に沿って、張り付くような家並みが続いている


(京都府宮津石浦)




石浦神社






石裏集落の中ほど左手山裾に日吉神社があった
石浦の鎮守である

ここで、休憩した後、由良川河口にある
北近畿タンゴ鉄道の丹後由良駅を目指した


(京都府宮津市石浦)
0712/0712



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略 図

経路青線部 距離4.45km












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