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旧丹後街道 ぶらり徒歩の旅 13

栗田半島峠〜宮津湾




宮津


栗田半島峠道





宮津運動公園を抜けると快適な道となっている
やがて栗田半島の峠にある旧栗田トンネルとなる

トンネルを潜ると、宮津湾側に出る


(京都府宮津市獅子崎)



宮津湾、海園望





目の前に天橋立が見えてきた(上写真上部)

この天橋立の反対側に
旧丹後街道の終点である丹後国の国府と
国分寺があった

下の写真は現在の宮津の市街を見下ろして所である
線路は北近畿タンゴ鉄道である

なお、以上の写真2枚は途中の見晴台海園望より撮影したものである
この海園望は、地元の且O洋商事が通行者や地元の人のために
建設した私設展望台である

立派な展望台で、東屋とベンチもあり利用させていただいた(感謝)


(京都府宮津市波路)


宮津港



やがて、右側に宮津港がある

丹後半島の付けで、宮津湾の奥
天橋立の東側(外側)にある天然の良港で
古くから発達した港である

北前船の西廻り航路の寄港地でもあった

丹後半島沖で獲られた越前ガニも此処で水揚げされ
地元の宮津はもとより舞鶴まで出荷されるとのことであった


(京都府宮津市波路)


湊橋





湊を出て、大手川に架かる湊橋を渡る

目の前に天橋立が一望出来るポジションとなっている
天橋立の背後の山地は丹後半島である


(京都府宮津市波路)

島崎公園





宮津湾に面した島崎公園である
上の写真は島崎公園のモニュメント海燕である

観光船の桟橋の先に天橋立、丹後半島が良く見える


(京都府宮津市島崎)




犬の堂の碑



宮津市街を抜けると左路肩に犬の堂の碑があった
説明によると、この小さな丘を虎が鼻と言うそうだ
道はここで大きくカーブしているところである

昔、波路(はじ)村が戒岩寺と九世文殊堂を兼管していた頃
一匹の利口な犬が、毎日この二つの寺の間を
往復して寺用をたしていた

ところが年老いて死んだので
僧は憐れんでここに堂を建てて弔い
犬の堂と呼んだ由

その堂が年月が経ち、朽ちたので
時の宮津城主林春斎(林羅山の子)によって
延宝6年(1678年)に堂と石碑が建てられたとのこと


(京都府宮津市漁師)




天橋立運河





やがて道は、海岸沿いの道となる
遊歩道として整備された歩きやすき道である

右手近くに天橋立が見えてきた
ここは天橋立の根元で運河となっているところだ

この先(左手)に、天橋立に渡る廻旋橋である小天橋がある


(京都府宮津市文殊)

0712/0801



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略 図

経路青線部 距離6.04km












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