行方市・玉造 鹿島神社より霞ヶ浦の北東岸を国道355号線で行方に向かった。行方市は、2005年9月、所謂平成の大合併の一環で、行方郡麻生町、北浦町、そして玉造(たまつくり)町が合併して出来た新しい市である。 生方市に入ると道路に生方市の大きなゲートが出来ている。「なかよく、人と自然、お気をつけて行方市」と書かれている。ゲートの門柱は、霞ヶ浦名物の帆引き船の帆をモチーフとして市章を模しているとか。 |
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霞ヶ浦ふれあいランド 行方市は、日本で7番目の大きさの北浦と2番目の大きさの霞ヶ浦の間に挟まれた、霞ヶ浦の北東岸を占有した市となっている。 その行方市の一番北西側にあるのがこの玉造町である。かつては鹿島鉄道(石岡~鉾田)の玉造町駅があった。鹿島鉄道は行方市を通る唯一の鉄道であったが、今年(2007年)の3月に廃止となり、今では鉄道の全く通らない市となってしまった。 玉造は古代から府中(石岡)と鹿島を結ぶ水陸の要地で、奈良時代には曽尼(そね)駅が置かれた由緒ある地区であるだけに、時代の趨勢とは言え寂しい限りである。 |
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シンボルタワー・虹の塔 玉造の地名の由来は、勾玉(まがたま)を作る玉造部(たまつくりべ)一族の居住地であったことによる。 その玉造町の霞ヶ浦大橋の袂に霞ヶ浦ふれあいランドが作られている。財団法人行方市開発公社が運営しているものだ。 写真は霞ヶ浦ふれあいランドのシンボルとなっている虹の塔である。この他に、水の科学館、親水公園等も併設された立派な施設となっている。 行方市には、このふれあいランドの他に、北浦ふれあいの郷、あそう温泉白帆の湯、レイクエコー(生涯学習センター)、北浦温泉・北浦荘、行方市観光物産館「こいこい」等の公共施設が整っている。 |
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霞ヶ浦大橋と道の駅たまつくり ふれあいランドの広い駐車場に車を停め、早速シンボルタワーである高さ60mの玉造・虹の塔に上った。と言ってもエレベーターが設置されていて、簡単の登れる。 写真は塔の展望台から霞ヶ浦町、土浦方面を見下ろしたもので、目の前の橋が霞ヶ浦大橋で、玉造町と対岸の霞ヶ浦町を結ぶ全長1100mの橋である。かつては有料であったが、今は無料となっている。 手前の施設は道の駅「たまつくり」である。物産販売所があり、地元で取れた野菜や水産物等を販売している。 |
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南東方面 南東の玉造、麻生方面を見下ろした写真である。地球が丸いことを実感出来る光景である。 麻生町(写真の左奥)も常陸風土記にも出てくる古い町である。麻の生える地が地名の由来とのこと。かつては条里制の発達した水田であったが、最近では米作中心から園芸、野菜、養豚などの複合農業となっている。 また麻生町は霞ヶ浦の漁業の中心で、シラウオ、ワカサギ、鯉、鮒、そして鰻の水揚げが一番多いところとなっている。霞ヶ浦佃煮がここの名物となっている。 |
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親水公園 虹の塔の直ぐ下は、霞ヶ浦ふれあいランド親水公園となっている。 水遊びが出来る「ざぶざぶ渓流」や「ちゃぶちゃぶ池」、「水の丘」、そして「たまゆらブリッジ」等が造られている。 また虹の塔の内部には「玉のミュージアム」もあり、玉造に因んだ勾玉や、大きな玉である地球、風船、卵なども併せて楽しく説明してある。 |
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東方面 東方面をみた写真である。右は国道354号線で北浦の鹿行橋を経て鹿島浦へと続いている道だ。 北浦と言うのは、霞ヶ浦を西浦と言うのに対して呼ばれるようになった。北浦町はその北浦に面した地域である。 写真左手奥に、鹿島鉄道の廃線跡が微かに見える。中央奥の白い建物は郊外型大型スーパーの「ベルシア」である。 此の辺は車が無いと生活の厳しい地域となっている様だ。 |
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北西、石岡方面 写真の奥が石岡市方面である。言わずと知れた常陸国の国府が置かれたところで、府中とも呼ばれていた。霞ヶ浦の北西端に接する町である。 石岡の地名は鎌倉時代の大椽資幹(だいじょうすけもと)の居城・石岡城があったことによる。江戸時代は府中藩松平氏の城下町で水戸街道の宿場でもあった。 |
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水の博物館 虹の塔を下りて、隣接する水の博物館に寄った。建物の内部は広く、水に関する各種実験装置や地球規模から生活レベルまでの水に関する事柄を判りやすく説明している。また霞ヶ浦の水や今後の開発等も紹介されている。 この後、霞ヶ浦大橋を渡り、土浦に向かった。土浦で名物の鰻を食べ、JR常磐線で帰宅した。 |
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ルート JR常磐線 土浦駅下車 レンタカー利用 土浦~阿見町~美浦村湖岸 ~浮島・和田岬~潮来~北浦~鹿島神宮 ~玉造~霞ヶ浦ふれあいランド~土浦 |
休憩所・駐車場 霞ヶ浦ふれあいランド 虹の塔、水の科学館 入館料 600円 |
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