筑波山

Mt.Tsukuba 877m


つくば駅前
  つくばエクスプレスの終点、つくば駅である。このターミナルビルで食事を取り、駅前のバスターミナルからバス(関東鉄道バス)に乗り筑波山に向かった。
  バスは、「筑波山シャトルバス、つつじヶ丘行き」である。途中は筑波山神社入口のみ停車であるからわかりやすい。
  なお、女体山へ行く場合は終点の「つつじヶ丘」からロープウェイがある。ここは有料道路、筑波山スカイラインの終点ともなっているところだ。
八脚楼門
  バス停の「筑波山神社入口」で下車。賑やかな門前町を10分ほど歩くと筑波山神社に着く。
  神社の入口にあるのが左の写真の八脚楼門で、寛永10年11月(1633)に三代将軍家光より寄進されたもの。
  しかし、宝暦4年(1757)に焼失し、再建されたのが明和4年(1767)でこれも再び焼失し、文化8年(1811)に再建されたものが現在のものである。なかなか立派な楼門である。
筑波山神社神橋
  境内を進むと、正面に筑波山神社の神橋がある。今は通行できないように囲いが出来ているが、この神橋は茨城県の指定建造物となっている。切妻造り、妻入りの朱塗りの反橋である。
  寛永10年11月(1633)三代将軍家光が寄進し、元禄15年6月(1703)五代将軍綱吉が改修した神橋で、安土桃山時代の様式が感じられる構造となっている。
参道・拝殿
  神橋の横を通ると、目前に筑波神社拝殿に向かう急な階段があり、その上が筑波山神社の拝殿となっている。
  筑波山神社は古代より山岳信仰の対象とされ、拝殿は筑波山中腹にあるが、双耳峰である筑波山全体が境内となり、男体山山頂に筑波男大神(おのおおかみ)(尊伊弉諾尊、いざなぎのみこと)、女体山山頂には筑波山女大神(めのおおかみ)(伊弉冉尊、いざなみのみこと)を祀る本殿が建てられている。
  この豪壮な拝殿は、寛永10年11月三代将軍家光の寄進によるとのこと。前述したように両山頂にあるのが本殿で、ここは、ただの拝殿だけで、拝殿の奥の扉から山頂の両殿を遥拝(ようはい)する様になっている。
筑波山神社拝殿
  なお、筑波山神社は延喜式神名帳に「筑波山二座」と記録されている古い神社である。
  また、奈良時代の常陸国風土記には富士山と対比して、紹介されている。富士は冬も夏も雪が降り、霜がおり、寒さ厳しく、人々は登らず。しかし筑波山は人々が集い、歌い舞い、呑んだり食べたりと、今に至るまで耐えないと記されている。
  筑波神社は、鎌倉幕府や戦国時代の武将、徳川幕府の篤い加護を受けていた。特に江戸城から筑波山が鬼門の方角に当たることから、徳川幕府の祈願所ともなり、隆盛を極めていたという。
筑波山ケーブルカー乗車場(宮脇駅)
  拝殿の左の坂道を登ったところに、筑波山ケーブルカーの乗車口がある。宮脇駅である。ここから、標高差495m、全長1.6kmのケーブルカーで、山頂駅まで6分(片道570円)で着く。
  このケーブルカーは筑波観光鉄道(株)の運営するもので、開業は戦前の1925年と歴史がある。ただ、戦時中(1944年2月)は不要不急線とされ、廃止の憂き目に遭っている。再開されたのは、1954年である。  
筑波山頂駅
  ケーブルカーの終点、筑波山頂駅である。男体山(871m)と女体山(877m)の鞍部(コル)の御幸(みゆき)ヶ原にある。
  筑波山頂駅から男体山の頂上(本殿)や女体山の頂上(本殿)に簡単に行くことが出来る
  この駅の右手には3階建てのコマ展望台(回転展望台)があり、屋上が無料の展望台となっている。登ってみたが、霧のため、何も見えなかった。
  なお、1階は売店で、2階は展望食堂となっている。
御幸ヶ原
  男体山と女体山の間にあるこの鞍部は、男大神と女大神が御幸(みゆき、往来)することから御幸ヶ原と呼ばれるようになった。なお、この二つの山頂の間は約30分の道のりである。
  霧の中ではあったが、我々も女体山まで登って見ることにした。左写真は女体山への上り口から見下したものである。この位置からだと、晴れていれば、目の前(写真の左部)に男体山のピークが見えるのであるが、今回は全くの霧の中であった。
  茶屋の名前が「仲の茶屋」、「めをと茶屋」・・・と如何にも御幸ヶ原らしいが、江戸時代は5軒の茶屋しか認められず、茶屋は「五軒屋」と呼ばれていた様だ。 
女体山登山道
  御幸ヶ原から女体山の方の坂を登った。今は、ハイキングコースとして整備されている。少し登ると、中継用の大きなアンテナが立っている。
  その先、右側がブナ林となっている。もっとも筑波山のブナ林はブナだけではないが、見応えのあるものが多数あった。その殆どが樹齢200~250年とのことで、いずれも樹勢は衰えていなかった。ガスが出てきて、良い雰囲気を醸し出していた。
  関東の名山筑波山は、遠くからも良く見え、一茶の「春立つや み古したるど 筑波山」」の句が、実感出来る山である。関東にある多くの学校の校歌にも筑波山は良く取り入れられている。
ブナ林
   私の母校の高校(栃木)でも、日光の男体山と、この筑波山が歌いこまれている。特に、筑波山は間々田、小山、栃木辺りから見る山容が、頂上の双耳峰(男体山と女体山)のバランスが良く、山裾も一番形が良くみえる。
  広大な関東平野にあって、標高は低いが良く目立つ山となっている。
  深田久弥の「日本百名山」にも指定されている。なお、百名山の中では、一番標高の低い山であるが、深田久弥は「筑波山を日本百名山の一つに選んだことに不満な人があるかもしれない。高さ千米にも足りない、こんな通俗的な山を推す第一は、その歴史の古いことである」とわざわざ断り書き入れている。  
せきれい茶屋
  なお、筑波山は山の形が良いから、独立峰と見間違うが、実際は阿武隈山系の南端で、反対側から見るとイメージが全然違う山となってくる。
  左の写真は男体山と女体山の略中間にある「せきれい茶屋」である。この名前の謂れも面白い。
  男体山の男大神と女体山の女大神の縁結びをしたのが、ここに居た鶺鴒(セキレイ)であったとのことで、今でもセキレイ石が残っている。その伝承に因んで「せきれい茶屋」となっているのだ。
  なお、婚礼の式に備える床飾りの鶺鴒(せきれい)台はこの故事からきている様だ。根固めと言われる岩の上に雌雄一番の鶺鴒を飾ったものである。
登山道
  さらに進むと、巨岩、奇岩の乱立する場所となる。曰く、弁慶七戻り、胎内潜り、北斗岩、大仏岩、ガマ石、出船入船・・・・等々と賑やかである。それだけ、このコースは魅力的なハイキングコースとなっている様だ。
  最も安直なコースが、筑波山神社宮脇駅からケーブルカーで山頂駅まで登り、そこから男体山に登る。そして、御幸ヶ原を通り、この女体山からロープウェイでつつじヶ丘に行き、そこからバスと言うコースであろう。

  女体山山腹にある小さな祠である。筑波山は本殿の他にこのような小さい祠が目に付く。古くから、人気のあった山なのであろう。
  前述の常陸風土記にも記されている。関東諸国の男女が、春花の咲く頃、秋紅葉の頃、相たずさえて登り、山上でご馳走を広げ、歌舞を楽しんだという。また、筑波山に登って、その会合で男より求婚されないような女は一人前でないと言われたと記録されているほどである。
ブナ
  最後に、筑波山といえばガマの油である。大坂夏の陣、冬の陣に従軍した筑波山知足院の僧光誉(こうよ)が考案した軟膏で、ひび、あかぎれ、しもやけ、腫れ物、切り傷などに良く効いたとのことで評判になった。これを江戸時代の半ばに永井村の兵助という香具師(やし)が「陣中膏」として売り出し、その時の口上が大層評判になったという。
  ♪さぁー、さぁーお立会い、ご用とお急ぎで無い方は、ゆっくりと聞いておいで、手前にここに取りいだしたるは、筑波山名物ガマの油、ガマと申しましてもただのガマとはガマが違う、これより北、北は筑波山のふもとは、おんばこと言う露草をくろうて育った四六のガマ、四六、五六はどこで見分ける~  
巨岩、奇岩
  ♪前足の指が4本、後ろ足の指が6本、合わせて四六のガマ、山中深く入って捕いましたこのガマを、四面鏡張りの箱に入れると、ガマは己が姿の鏡に映るのを見て驚き、タラーリタラーリと油汗を流す、これを漉き取り、三七21日間、トローリトローリと煮詰めましたのがこのガマの油~ 
  さ~て、このガマの油、今でもちゃんと厚生省認可の医薬品として売られている。山田屋薬局製造の「陣中膏がまの油」で定価600円である。
  閑話休題。本来なら、このまま女体山を経由して、ロープウェーでつつじヶ丘に下り、バスでつくば駅に戻るのが普通のコースであるが、今回は写真仲間と筑波神社で待ち合わせをしているので、ここでUターンして戻った。



ルート

 
つくばエクスプレス つくば駅下車

シャトルバス 筑波山神社入口
~八脚楼門~神橋~筑波神社
~ケーブルカー 山頂駅
~御幸ヶ原~女体山


休憩所・トイレ

筑波山神社参道

御幸ヶ原


0509/0706


悠々人の日本写真紀行 Part1 全国版
Part 1
戻 る 北海道 東 北 関 東 中 部 近 畿 中国四国 九州他

Hitosh