金沢旧街道
Kanazawa Kaido


朝比奈道祖神
  鎌倉は、何回訪れても素晴らしいところである。しかし、正月3日の今回は今までと違う趣旨の訪問となった。
  写真仲間のR氏の発案で、野外新年会を兼ね、鎌倉古道、それも切り通しを歩いてみようということになった。総勢、7人の参加となった。
  私も、この撮影会は約1年ぶりの参加であった。京浜急行の金沢八景で朝9時に待ち合わせをし、駅よりバスに乗り、朝比奈で下車した。 
朝比奈切り通し
  バスをおりて、道祖神の横を通ると、すぐ、朝比奈切り通しに着く。鎌倉の切り通しといえば、名の知れたものでも7つある。それほど、切り通しの多い古都鎌倉である。
  路端の道標によれば、ここは鎌倉街道と書いてあった。地図により確認すると、金沢街道といい、鎌倉と金沢六浦港を結ぶ、鎌倉古道であることが解った。
  この切り通しは、鎌倉七切り通しの1つで、3代執権北条泰時が切り開いたもので、今はハイキングコースになっている。
  鎌倉の七切り通しというと、極楽寺坂切り通し、大仏坂切り通し、化粧坂切り通し、亀ヶ谷坂切り通し、小袋坂切り通し、名越切り通し、そしてこの朝比奈切り通しである。
  この写真を見ると、いかにも山を切り開いて作られた道であるかが良くわかると思う。  
  この切り通しの上にあるのがこの熊野神社である。熊野信仰がここまで及んでいるのかと感じ入った。このあと、峠道に抜け、 十二所果樹園まで、山道を歩き、ここで、写真仲間の野外新年会となった。
  S氏の用意してくれた鍋料理と、皆で持ち寄ったアルコールとつまみで豪勢な新年会となった。
  この果樹園は、春は梅と、そして桜の名所ともなっている。坂を階段状にして、木が植えられている。
金沢旧街道 
  宴会で、火照った体を冷やすべく、また、冬の鎌倉古道を、鎌倉鶴岡八幡宮に向かって歩いた。金沢新道(車道)を横切り、急勾配の階段を登った所にあるのが、下の写真の十二所(じゅうにそ)神社である。
  十二所地蔵の鎮守社で、もとは光触寺境内にあったとのことであった。
十二所神社
  十二所神社を参詣したあと、リュックと登山靴姿の我々は、天園ハイキングコースをめざした。
  鎌倉は、ぐるっと山で三方を囲まれている。残りの一つは海であるから、天然の要塞となっている。その鎌倉を囲む山(大体が100m級の山。一番高い山が、大平山で159mしかない。しかし、どの山を一気に立ち上がった山で、谷が発達している)は、今はハイキングコースとして良く整備されている。
  その中で、代表的なのがこの天園ハイキングコース(3.5km)である。
  日が暮れてきたので、瑞泉寺へ下り、鎌倉宮、荏柄天神、鶴岡八幡宮を抜け、鎌倉市の繁華街である小町通りのいつもの居酒屋に着いたときはすっかり暗くなっていた。
  ここで、新年会を兼ねた2回目の宴会となった。この仲間は皆、例によって、豪快な飲みっぷりであった。
  宴会の後、ふらつく足で、鎌倉駅より東京に戻った。始めて参加した、T氏はこの古道歩きにすっかりバテ気味であった。始めての人にとってはかなりハードなコースであった。


            鎌倉道
  鎌倉と周辺各地を結んだ街道の総称で、12世紀に鎌倉幕府の開設と共に、関東各地と鎌倉を結ぶ道が整備された。「いざ、鎌倉」の時の街道でもあった。
  中でも、有名なのは、上道(かみのみち)、中道、下道である。鎌倉と町田、府中、上州を結ぶ上道、鎌倉と鳩ヶ谷、岩槻、古河から奥州を結ぶ道と、その途中より府中へ向かう中道、、鎌倉と浅草、常陸、下総を結ぶ下道である。
  関東に住んでいる私にとって、鎌倉旧道は、あちこちでその道標を見たことがある。いずれじっくりと紹介したいと考えている。
     金沢街道
  鎌倉鶴岡八幡宮から東へ、朝比奈峠を経て、金沢八景、六浦港に抜ける道を言う。かつては、六浦から塩や海産物を運んだ街道で、滑川(なめりかわ)沿いの旧道が今もハイキングコースとして整備されている。この街道沿いには、鎌倉で一番古い寺である杉本寺や、竹の寺として有名な報国寺等がある。
  こちらも、写真を撮っているので、後ほど、じっくり紹介したいと思っている。


0001/0009/1808

悠々人の日本写真紀行 Part1 全国版
Part 1
戻 る 北海道 東 北 関 東 中 部 近 畿 中国四国 九州他

 Hitosh