鴻巣・夏祭り
Konosu

旧中仙道
  例年7月中旬の日曜日、旧中仙道の鴻巣市街部は歩行者天国となり、車は通れなくなる。年に一度の夏祭りに大勢の市民が繰り出してくる。
  鴻巣市全体で、大小35の神輿があり、各地を回った後、最終日の日曜日に、その代表15基の神輿がこの旧中仙道に集結し、渡御するのであるから、その熱気は凄まじいものである。
    鴻巣とは、少し変わった名前である。もともとは、この地に天邪志国(むさしのくに)の国府が置かれたことから「国府の州」が「こうのす」と転訛し、後に「鴻(こうのとり)伝説」から「鴻巣」の字を当てるようになったと伝えられている。
  また、宿の総鎮守氷川社が鴻の宮と呼ばれていたからとの説もある。 
  鴻巣は大宮台地の北部にあり、周囲は旧荒川と荒川の低地と言うこともあり、地の利を得て、昔から発展した歴史のある街となっている。
  中仙道の鴻巣宿(日光裏街道の分岐点でもあった)として、また鴻巣雛の名産地として、そして最近では花の街としても知られている。
  特に鴻巣雛は400年の伝統を誇っている。戦前の最盛期には200軒の製造業者がいたが、最近では同じ関東の岩槻の大量生産された雛人形に押され、わずか10数軒に減少した。 
  しかし、残った人形屋(吉国、マル武、森田、秋元、吉見里、広田屋、たち屋等々)はいずれも老舗で、現在も立派な店構えをしている。私も、娘が誕生したとき、この鴻巣で雛人形(鴻巣雛)を買った。
  私の横浜在住の友人で、飛騨の高山出身のM氏も、わざわざ鴻巣に来て雛人形(京雛)を買ったくらいである。
  鴻巣の雛人形は、それほど有名であったが、時代の流れに乗り遅れてしまった感じがする。今では勢い(生産量)で、岩槻の雛人形に負けている。   
  今でも、鴻巣には人形町という地名が残っている。皮肉にも、この夏祭りの神輿の渡御のスタート地点が、人形町となっているのである。そして終点が加美(かみ)町となっている。
  秋の大なめ祭の時も、この旧中山道は歩行者天国となり、また別の賑わいを見せるが、このときは幼稚園児や小中学生の鼓笛隊などがこの道の主役となる。



ルート

東北自動車道 加須IC
又は関越自動車道 東松山IC
〜鴻巣

JR高崎線 鴻巣駅

散策 1時間
駐車場

無し


7907/0302/0507

悠々人の日本写真紀行 Part1 全国版
Part 1
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