柴 又
Tomioka Hachimangu


参道
  京成線の「柴又」駅の改札を出ると、目の前に、あの寅さん(渥美清)の銅像(1999年作)が迎えてくれる。すっかり松竹映画の「男はつらいよ」の寅さんで有名になってしまった町である。
  「生まれも育ちも葛飾柴又」の啖呵が、今でも聞こえてきそうな町である。
  柴又は江戸川と中川の間の低地で、地名は721年(養老5年)の「正倉院文書」に載っている嶋俣(しままた)より、戦国時代には柴俣と変化し、江戸時代中期頃より、柴又と書かれるようになった。
  江戸時代後期より、帝釈天(たいしゃくてん)の門前町として賑わうようになった。
  参道にある店の「とらや」は、1作から4作まで、実際に「男はつらいよ」の撮影に使用された店(映画では「くるまや」)である。
とらや
  但し、平成元年に老朽化(大正時代に建築)により、建替えられているから、店そのものは当時とは違うが、店内には映画で御馴染みの階段などが今でも残されている。
  なお、5作目以降は、大船撮影所(松竹シネマワールド、現在は閉鎖)のセットで撮影された。実際に行って見たことがあるが、本物そっくりの参道と、「くるまや」のセットが出来ており、見事なものであった。
二天門  
  合掌して二天門をくぐり、中に入ると、今までの喧騒が嘘であるように、静まり返っていた。なお、二天門(明治29年建立)は仁王の代わりに四天王の内、西方守護の広目天と南方守護の増長天の像を安置した門である。
  帝釈堂内に東方守護の持国天、北方守護の多聞天が、帝釈天の脇士として配置されている。 
帝釈堂(柴又帝釈天)
  正式には日蓮宗の経栄山(きょうえいざん)題経寺(だいきょうじ)」で、1631年(寛永8年)日忠(にっちゅう)上人の草創と伝えられている。
  写真は帝釈尊天が安置されている帝釈堂(喜見城)の正面である。喜見城とは喜びが現れる城の意で、帝釈天が住んでいた所とされている。
  この裏手には、庭園が作られている。庭師永井楽山翁の最後の名作、邃渓園とのこと。
二天門と大鐘楼
  寺の縁起によると、本堂棟上のとき出土して板碑(いたび)に、片面は、病即消滅本尊、そして片面は剣を持った帝釈天王の像であったので、これを寺相伝の祈祷本尊とした由。

  右手に剣を持ち、左手を開いた忿怒(ふんぬ)の相をした帝釈天は、信仰するものには、病難、火難、その他の災難に遇えば守護し、悪魔を退散させてくれると言うものである。 
二天門より参道を望む
  今回は、写友4人で来た。この二天門をくぐり、右手に折れた所を道なりに行くと、江戸川を横切って千葉県の松戸に渡る、「矢切の渡し」がある。
  その途中の川魚料理店に入り、評判のうな重を賞味した。いい値段ではあったが、身も豊かで、柔らかく、味も申し分なかった。



ルート


京成金町線 柴又下車
〜参道〜二天門〜帝釈堂

歩行 2時間

駐車場

なし

トイレ
有り

 

0306/0311/0507

悠々人の日本写真紀行 Part1 全国版
Part 1
戻 る 北海道 東 北 関 東 中 部 近 畿 中国四国 九州他

Hitosh