富岡八幡宮(深川八幡)
Tomioka Hachimangu


裏参道
  富岡八幡宮は、地下鉄東西線の門前仲町の駅を降りて、歩きで3分位の所にある。深川といえば、この富岡八幡宮を真っ先に思い出す位有名だ。深川八幡とも呼ばれ、江戸時代より親しまれている所だ。
  今回は、写真仲間のT氏の案内で深川不動堂を参拝した後、裏参道からやってきた。
富岡八幡宮本殿
  富岡八幡宮は寛永4年(1627年)に、当時永代島と呼ばれていた現在地に建立された。周辺の砂州を埋め立てて、作られたとのこと。深川の八幡様、江戸最大の八幡様として、現在でも多くの人が参拝に訪れてくる所である。
  本殿は、関東大震災で消失し、昭和8年に再建したが、第2次世界大戦でまた消失した。現在のものは、昭和32年に完成したものである。
本殿正面  
   ここの例祭(夏祭り)は有名だ。特に3年に一度行われる本祭りは、大小あわせて120基余の町神輿(みこし)が担がれ、特に大神輿54基が勢揃いして連合渡御する様は見事とのこと。別名「水掛け祭り」とも呼ばれている。
   赤坂の日枝神社の山王祭り、神田明神の神田祭りと共に江戸3大祭りの一つと言われている。
黄金神輿
  日本一の黄金神輿だ。一ノ宮神輿と二ノ宮神輿があり、共に鳳凰の目はダイヤ(それぞれ4カラットと2.5カラット)となっている。一の宮神輿は、さらに狛犬、隅木、小鳥の目もダイヤとなっている。
     そして、鳳凰の鶏冠には、ルビーが2010個使用されている由。重さは4.5トンで、屋根は純金24kg使用しているというから棲い。
  ガラス戸越しに常時見る事が出来るようになっている。流石に見事なものだ。因みに作者は第16代浅子周慶との事。
  もともとは、あの豪商紀伊国屋文左衛門が総金張りの神輿3基を奉納したのが始まりで、関東大震災で消失してしまった。やっと平成3年に再製作されたもので、未だ真新しい神輿であった。

横綱力士碑

  また、八幡宮は、江戸勧進相撲の発祥の地としても有名だ。この境内で、春と秋の2場所の勧進相撲が幕府の許可を得て行われるようになった。約100年間もここで本場所が行われた由。  
  この横綱力士碑は、明治33年に、第12代横綱陣幕久五郎を発起人に、歴代横綱を顕彰する碑として建立された。初代から現在の横綱(朝青龍)までの四股名が刻まれている。新横綱が誕生すると、刻名式が行われ、新横綱の土俵入りが奉納される。

大関力士碑
  表参道の鳥居付近には、大関力士碑も建立されている。こちらは、歌舞伎の9代目市川團十郎と5代目尾上菊五郎により寄進された仙台石を元に、初代大関雪見山からの歴代大関104人の四股名が彫り込まれている。
伊能忠敬碑
  表参道を歩いていて、この銅像を見てびっくりした。何で、ここに伊能忠敬がと思った。忠敬は上総の国佐原の人のはずである。この銅像は平成13年に出来たばかりのものであった。
  説明碑によると、49歳で隠居後、忠敬は深川黒江町(今の門前仲町1丁目)に居を移し、ここで天文学を学び、測量旅行に出発する時は、必ずこの八幡様にお参りしていたとのことであった。  
表参道
  有意義な人生を2度経験(佐原での名主、隠居後は深川で測量に携わる)した忠敬の碑を後にして、この後、我々は門前仲町の商店街を抜け、木場公園に向かった。
  願わくは第2の人生も実り多いものをと思わず思った。忠敬は中高年の我々に勇気を与えてくれる人であった。



ルート


地下鉄東西線 門前仲町 3分
大江戸線 門前仲町    6分

歩行 1時間

駐車場

有料

トイレ
有り

 

0303/0306/0507

悠々人の日本写真紀行 Part1 全国版
Part 1
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