浅 草 
Asakusa


浅草寺正面
  江戸時代より、浅草(せんそう)寺の門前町として栄え、その後も繁華街として発展してきた。 
  第2次世界大戦中の東京大空襲で浅草は壊滅したが、現在の姿に再建された。
浅草寺境内
  俗に浅草(あさくさ)観音と呼ばれている。645年、勝海上人が、東国を巡歴して本堂を開山し、観音像を秘仏とした。
  鎌倉時代以後は、源頼朝以下将軍家の帰依を受けるなど、武将や文人たちの尊崇を集め、東日本随一の観音霊場とされ、板東三十三所の13番めの札所となった。
浅草寺境内
  三社権現(現、浅草神社)の祭礼三社祭は江戸3大祭りの一つとして今も盛んである。その他、四万六千日(ほうずき市)、歳の市(羽子板市)等とともに、今日も続く代表的祭礼となっている。 
浅草寺境内
  いつ来ても、多くの人出でごった返している。私も、この浅草界隈は、仕事も含めて数え切れないほど来ているが、何回来ても、心の安まるところでもある。
  ここには、暖かい人の温もりが感じられる。

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悠々人の日本写真紀行 Part1 全国版
Part 1
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