横浜線に小机(こづくえ)という駅がある。鶴見川の土手を鴨居の方から下ってくると、第三京浜国道の橋をくぐった右手に小高い机の様な形をした山がある。ここから小机と命名されたのであろう。 この小高い山は、かつて城が築かれ、小机城と呼ばれていた。案内によると、12世紀には上杉氏の城として造られていたようだ。まだ上杉氏の勢力の強いとき(関東管領)の話である。 |
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その後、太田道潅に滅ばされ、北条早雲の時、40年ほど一度廃城となり、大永4年(1524年)、北条氏一族の城として再興された。その後、北条氏が豊臣秀吉に滅ばされると共に、再度廃城になった。 左の写真は、頂上付近の平坦地である。ここにかつて二の丸が築かれていた。さらに左手に本丸が築かれていた跡が残っている。 |
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土累 左の凹みが大分埋まってしまったがかつての空堀とのことであった。空堀は水を張るための堀よりも堅固で、勾配が急となっているため、工事が大変であった。 後北条特有の築城方法とのこと。幅12m、底の幅は5mで、深さは12mで二重に掘られていた。 |
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小机城本丸跡 小机城本丸跡である。もちろん、何も残っていないが、後から建てた門と、広い平坦な土地と小さな記念碑があるだけだ。中世の城跡は、大抵こんなもんであろう。馴染みのある近世の城跡とは違う。 従って、人気も無いせいか、何度来ても、誰も訪問者はいなかった。静寂(しじま)の中、ただ一人、この城跡を歩いていると、もののふどもの足音が聞こえてくるようであった。狭い日本、どこにも人と自然の関わりがあり、歴史があると思った。 |
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櫓台(やぐらだい)跡付近である。この裏手に井楼(せいろう)跡があった。 この辺一帯は、小机城址市民の森として整備されている。また、こんな竹藪が多く残されている所でもある。 |
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鶴見川土手より見た小机城跡である。丁度、丘陵地帯の先端を利用して築城したもので、中世の城に多い形とのことであった。 JR横浜線は、鴨居と小机の間の、この城跡の下(トンネル)を走っているが、第3京浜国道(有料)は、山を切り取って、丁度城跡を2分するようにして走っている。 |
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鶴見川にかかる第三京浜の橋である。この辺は、まだ野鳥が多く見られるところでもある。土手の両側はサイクリングコースとして整備されている。ここから、新横浜の国際競技場(サッカー)はすぐ目と鼻の先にある。 | ||
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ルート 横浜線・小机〜小机城跡 〜小机城址市民の森〜鶴見川 歩行2.5時間 |
休憩所・駐車場 なし |
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