鶴見・総持寺
Tsurumi / Soujiji

鶴見川・鶴見
  鶴見川をこの辺まで下ってくると、1級河川に相応しい川幅となり、もう川と言うよりも運河に近く、行き交う船も多くなってくる。
  鶴見は、もとは橘樹(たちばな)郡鶴見町で、今は横浜市鶴見区となっている。鶴見川の河口の西岸の低地と鶴見台地からなり、かつては東海道の川崎宿と神奈川宿間の立場(休憩地)として賑わっていた所だ。 
  もっとも、埋め立てが進み、現在では河口のイメージは無く、すっかり工業地帯となっている。それでも、右岸付近には古くからの民家が残っている所でもある。
総持寺・三松閣
  この鶴見川の右岸を走るJR東海道本線の踏切を渡った台地の上に、明治44年(1911年)石川県の能登半島から移転した総持寺がある。能登半島の寺が1898年の大火で消失したからである。
  石原裕次郎のお墓があることで有名となっているが、この寺は全国に末寺15000寺を持つ、曹洞宗の大本山である。曹洞宗としては福井の永平寺と同格の本山とのこと。   
金鶏門 
  巨大な三門を潜ると、広大な境内に大きな建物が沢山建っているに圧倒されるほどである。
  最初に目に入るのが左上写真の三松閣(さんしょうかく)である。檀信徒の研修道場や各種セレモニーの会場となっている由。能登の祖院にあった3本の竜の形をした松にちなんで三松閣と名付けられたとのこと。この1階にはロビーと売店が設けられている。    
  金鶏門(左上写真)の金鶏とは、星の中に住む想像の鳥。あけの鳥と言って朝を表しているとのこと。
一文字廊下
  外苑と内苑とを分ける廊下で、東西の殿堂群をつなぎ合わせている。通称「百間廊下」(長さ152m)と呼ばれている。
  毎日雑巾がけが行われ、見事なまでに黒光りしていた。この雑巾がけのことを「洒掃行(しゃそうぎょう)」と言うそうだ。
仏殿
  大正4年に作られた総欅(けやき)作りの殿堂で、「大雄宝殿(だいゆうほうでん)」と呼ばれており、中央には本尊の如来(坐像、木彫)が祀ってある。
  その左右には、お釈迦様の十大弟子の阿難尊者、迦葉尊者が脇侍(きょうじ)として祀ってある。 
大祖堂(瑞応殿)
  日本一の大きさを誇る本堂。間口30間(54.5m)、奥行き26間(47m)の鉄骨鉄筋作り。昭和40年に竣工したもの。
  一般の開山堂と法堂を兼ねた本堂客殿で、大道場、法要修業の場となっている。畳千畳敷きの広さのなかで、約200名の僧侶が修業している由。
  50haに及ぶ広大な敷地に巨大な建物群、とにかく圧倒された。


ルート
 
JR鶴見駅 下車 5分

鶴見川潮見橋〜JR東海道
〜総持寺三門〜三松閣〜金鶏門
〜一文字廊下〜大仏殿〜本殿(大祖堂)

歩行 1時間

駐車場

綱見 総持寺 有料

トイレ 有り

0208/0312

悠々人の日本写真紀行 Part1 全国版
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