悠々人の写真日記

平成18年5



山形
霞城公園|山形城大手門|山形駅前

山寺(立石寺)
宝珠山|立谷川・対面石|立石寺登山口|根本中堂|石段|奥の院

高尾山
参道|たこ杉|薬王院境内|山頂

夕やけ小やけ・ふれあい里






山形


霞城公園(山形城址)






山形城址は、今は霞城(かじょう)公園となっている
サクラの名所としても知られているところである

サクラはソメイヨシノを中心に1500本余という
丁度観桜会が行われており、夜はライトアップされていた

そして、この霞城公園の側を走っている
JR仙山線(山形ー仙台)は、ここで徐行してくれた

なかなか粋な計らいである


(山形県山形市)



山形城跡・二の丸東大手門






山形城というと最上義光(騎馬像)である
義光が築いた山形城と城下町

慶長6年(1601年)には57万石の大大名となった
しかし元和8年(1622年)改易となってしまう

その後の山形藩は鳥居忠政(22万石)、保科正之(20万石)・・・
と計8回も城主の交替があった

江戸末期は水野氏の5万石と縮小されている


(山形県山形市)



山形駅前




電車で来たのは始めてであった
新幹線の「つばさ」で、約3時間である

以前は車で来た
高速道路も無く、途中1泊してきたのであるから
正に雲泥の差であった


(山形県山形市)



山寺(立石寺)


宝珠山




JR山寺駅前より宝珠山を望んだ写真
全山が立石寺の境内となっている

手前の橋は、立谷川に架かる宝珠橋

久しぶりに訪れた
前回は車であったが、今回は山形よりJR仙山線でやってきた



立谷川・対面石




立谷川の対面石
貞観2年(860年)、慈覚大師がここで山寺を開く時、
この地方を支配していた狩人の磐司磐三郎(ばんしばんざぶろう)と
この大石の上で対面し開山の協力を求めたという

巨大な2個の石である




立石寺登山口




立石寺登山口である

階段左にあるのは松尾芭蕉の句碑

御馴染みのせみの句
「閑さや 岩にしみ人 蝉の声」
と彫られえいる



根本中堂



正平年間(1346〜70年)に再建されたもの
国の重要文化財
ブナ材の建造物としては日本最古とのこと



大銀杏




根本中堂脇にある日枝神社境内の大銀杏
根元の周りが約10mもある巨木である

高さは30mで、山形市で最大であったが
昭和47年の台風で
主幹が下から5mのところで折れてしまった



松尾芭蕉像




芭蕉がこの地に訪れたのは
元禄2年(1689年)であった



石段








山門から奥の院までの石段の数は約700段

鬱蒼とした老木や石塔に囲まれ
実に快適な階段である




奥の院






奥の院、如法堂
奥の院や五大堂よりの見晴らしは素晴らしかった

(山形県山形市)


高尾山


参道




久しぶりに高尾山を登った
といっても、観光気分で登れる低い山(599m)である

今まで、この高尾山だけを目的として登ったことはなかった
城山経由で東海自然歩道を相模湖に抜けたり、陣馬山に抜けたりしていた

今回は写真仲間との撮影会であった



たこ杉




参道の途中にある蛸杉

高尾山の杉では二番目に大きいとの事
樹齢450年、高さ37m、幹の周囲6mの巨木である
八王子市の天然記念物に指定されている





高尾山薬王院境内




まさに新緑真っ盛りであった
この辺は訪れる人も少なく深閑としていた




高尾山山頂




今日は小雨模様で、富士山も見えなかった

それでも頂上はすごい人込みであった
何時来ても、大勢の人が訪れている
人気のある山である

(東京都八王子高尾山}


夕やけ小やけ・ふれあいの里









八王子より陣馬街道を下った北高尾の山間に
この「夕やけ小やけふれあいの里」がある

童謡「夕焼小焼」の作詞者中村雨紅はここ八王子市上恩方町生まれだ

中村雨紅に関する資料と、同じくここ出身の風景写真家前田真三の作品を
展示した「夕焼小焼館」が園内に出来ている

(八王子市上恩方町)



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