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旧東海道五十三次 ぶらり徒歩の旅 21

月輪53大津宿逢坂山科京都三条大橋(完)



月輪、町並み



草津と大津宿の間にある立場(休憩所)の月輪(つきのわ)の町並に入った

この左手には、月輪寺、そして下月輪池のある景勝地である
街道を少し進むと、一里塚のあった一里山である


(滋賀県大津市月輪)



53大津宿

大津・神領の石屋



旧東海道が県道に合流し、右に曲がれば
瀬田の唐橋となるところである

石屋の店頭にある洒落た夫婦猫である
丁寧に現代版道標となっているところが憎い


(滋賀県大津市神領)




瀬田川



瀬田川に架かる瀬田の唐橋より琵琶湖方面を見た写真である

瀬田の唐橋は、都の関門でもあった
戦で何度も焼け落ちた橋である
もちろん、今は鉄製の橋で、擬宝殊だけが当時の面影を留めている

この橋を渡ると、いよいよ東海道53次の53番目の宿駅大津に入る

なお、瀬田川は琵琶湖より流れ出す唯一の天然河川であり
宇治川を経て淀川となり大阪湾に流れ込んでいる


(滋賀県大津市唐橋町)




浜大津







瀬田の唐橋を渡って、今日の徒歩の旅は中断して
直ぐ近くを走っている京阪電車(唐橋前駅)に乗り浜大津駅に向かった

今夜は、浜大津(大津港)の湖畔にある旅館で
仲間達が旧東海道完全踏破を祝して
ここで豪勢な前夜祭を催してくれた

屋上の大展望風呂で、汗を流したあと
旨い酒をしたたか飲んだ

仲間達にはもう感謝感激である
女将にも、祝いのビールを頂いた
土産に貰ったのが大津絵(下の写真)である

☆ ☆

いよいよ明日は、旧東海道徒歩の旅の終点
京都三条大橋である


滋賀県大津市浜大津




琵琶湖畔



翌日は二日酔いではあったが、朝6時に起床し朝食も摂らずに出立した

まず、京阪電車で、昨日乗車した唐橋前駅まで戻り
いよいよ最後のコース、京都三条大橋を目指して歩き始めた

写真は、琵琶湖御殿浜での写真である
まだ、空はどんよりしていたが、さっと陽が差してきた
今日の天気予報は快晴とのこと
先が楽しみである


滋賀県大津市御殿浜




膳所城跡




膳所(ぜぜ)城は家康の命により藤堂高虎が縄張りした城である
瀬田の唐橋と琵琶湖の押さえとして作られた幕府直轄の城であった。

琵琶湖の中に石垣を築き、本丸、二の丸を配し
本丸には四層四階の天守が建てられた

瀬田の唐橋は、古くから軍事、交通の要衝で
壬申の乱以来、しばしば合戦の舞台となったところである

「唐橋を制するものは天下を制する」と言われていた
京の宇治橋、山崎橋とともに日本3大古橋に数えられている

今は膳所城跡公園として整備されている


滋賀県大津市本丸町




53大津宿町並



大津宿の中心であった
この先左手にロシア皇太子ニコライが襲撃された
大津事件の記念碑のあるところだ

この先を左に曲がったところに本陣があった

次はいよいよ逢坂の関所越えである


(京都府東山区粟田口



逢 坂

銭丸神社下社



大津宿を出ると、いよいよ逢坂山の上り坂となる

その途中右手にあるのが蝉丸(せみまる)神社の下社
蝉丸は琵琶の名手で、音曲諸芸道の神であるから
奉納される絵馬も芸道に関するものが多い

境内には、古歌で有名な関の清水があったが
JRのトンネル工事で枯れてしまった

なお、蝉丸は縁起帝の盲目の第四皇子である
謡曲「蝉丸」が名曲として有名である


(滋賀県大津市逢坂)




逢坂の関



三関(さんかん)の一つの逢坂山関址である
三関とは、伊勢国鈴鹿、美濃国不破、そして近江国逢坂である

かつては相坂、合坂とも書かれた
逢うという文字と、人との間を隔てる関所との組み合わせから
和歌等に多数詠み込まれたところである

蝉丸の「これやこの 行くも帰るも 別れても 知るも知らぬも逢坂の関」
は良く知られている

蝉丸神社下社の石碑にも刻まれていた


(滋賀県大津市逢坂)




逢坂



逢坂関を過ぎ、蝉丸神社の前より街道は下り坂となる
道はこの先で、現東海道(国道1号線)と合流している

当分は、国道の歩道を歩くことになる
狭い大谷に現東海道、名神高速道路、京阪草津線が並んで
走っているところである

20分程歩き、東海道が名神高速道と交差した所より
旧東海道は左手の狭い道となる


(滋賀県大津市大谷町)


山 科

山科追分



旧東海道に入り、程なく、この山科の追分に着く
この道路の左側が京都府で、右側滋賀県大津市である

そして此処は追分
「みぎハ京みち、ひだりハふしみみち」とある

左は、伏見、淀、枚方(ひらかた)、守口の4宿を経て、大阪高麗橋に
通じる「大坂道」である
東海道57次とは、この4宿を加えた言い方である

旧東海道は、右の狭い道を行くことになる



滋賀県大津市追分町




現東海道



暫く歩くと、旧東海道は現東海道と交差する
写真はその歩道橋より逢坂山方面を撮ったものだ



滋賀県大津市横木




京都・山科町並




現東海道を横断すると、程なく京都府山科に入る
いよいよ京都入りである
電柱には旧三条四ノ宮と書いてある

この先右の山科駅前の寿司屋で昼食を摂った
「おいでやす」、「おおきに」と言われ
田舎もんが、やっと都入りした様な感慨に耽ってしまった


京都府山科区




五条別れ道標



旧東海道と渋谷街道の分かれ道に建つ古い道標(写真左下)には
「右ハ三条道、左ハ五条橋」と彫られている

いよいよ旧東海道の終点三条大橋への道である
もう一つの石碑には「史跡別れ道標」と彫られている


京都府山科区



日ノ岡峠



山科の町並を抜けると、最後の急坂、日ノ岡峠越えとなる
道標は何も無いので、下調べした地図を何度も確認した

これが旧東海道かと思うほど、寂れた道である
途中、道脇に「旧東海道」と書かれた小さな石碑があり
道は間違っていないと安心した

写真は坂の途中より後を振り返り撮ったものだ
遠くに見える町並は山科である



京都府山科区北花山



京都・三条大橋

三条通り





やがて、旧東海道は三条通り(県道143号線、四ノ宮四ツ塚線)に
合流する

旧東海道は右手の細い道(上写真)である

この合流したところ(下写真)に昔の牛車道を模した広場が出来ている
俵を積んだ牛車2台のモニュメントが設けられている

牛車の台となっている石は地下鉄の開通とともに
廃線となった京阪電鉄の軌道敷が利用されている


京都府山科区日ノ岡)




蹴上げ坂




日ノ岡を下ると、左下に京都の町並が見えてきた
左手に蹴上(けあげ)浄水場のあるところだ

次の信号(蹴上交差点)を道なりに左に曲がると
約20分(1.6km)で、旧東海道の終点、三条大橋である

このまま三条大橋を目指すのは、何か勿体ない気がして
寄り道してから行くことにした
先ずは、右手前方にある紅葉の名所南禅寺に立ち寄った

ただ、三条大橋までの最後の道程をじっくり味わいたかったから



京都府東山区粟田口



南禅寺







旧東海道を少し右に反れて南禅寺に行った

境内は紅葉が真っ盛りである
わざわざこの日を選んでの上洛は、正解であった

南禅寺は亀山天皇により、正応4年(1291年)に、当時の離宮を
大明国師を迎え、禅林禅寺としたのが始まり
その後、南禅寺と改められた

禅宗唐様の大きな三門は重要文化財に指定されている

下、2枚の写真は、境内を走る琵琶湖疎水(水路閣)である
琵琶湖疎水は浜大津(昨夜前夜祭を行った宿の横が取水口)より
京都市内に引かれた水路のことだ

日本で初めて、インクライン(傾斜鉄道)方式を採用した疎水としても知られている


(京都市左京区南禅寺福地町)




粟田口



南禅寺に寄り道した後、再び三条通に戻った
この道を真っ直ぐ行くと三条大橋である

あと、1200mの距離だ

このままの到着では、まだ勿体無いので
次の交差点(三条神宮通り)を左に曲がって
今度は知恩院に向かった


(京都市東山区粟田口)




知恩院







知恩院は浄土宗の元祖法然上人が
京都東山のこの地(吉永の草庵)で
念仏の教えを説かれたのが始まり

現在の寺観は、江戸時代になって
浄土宗の教えに帰依した徳川家によって整えられたもの

江戸時代の五街道の一つ、旧東海道ぶらり徒歩の旅の終わりに
相応しい寺であった

無事、ここまで踏破出来たことに感謝し合掌


(京都市東山区林下町)




白川橋





知恩院より三条通り(旧東海道)に戻ると直ぐのところに
白川に架かる三条白川橋がある

橋の袂に江戸時代からの古い道標がある
「是よりひだり ち於んゐん ぎおん きよ水みち」
と彫られている

白川の静かな佇まいの両岸には
古い料亭や旅館が立ち並んでいるところだ
いよいよ京都の中心という感じである

あと、720mで三条大橋である


京都市東山区五軒町




東山三条



東山三条の交差点である
左右の道は東大路通り、そして真っ直ぐが三条大橋である

人も車の混雑も激しくなってきた


京都市東山区三条通り)




三条京阪駅前




とうとう着いた
目の前にある橋が三条大橋である

写真左手には高山彦九郎の銅像のあるところである


京都市東山区




三条大橋





11月29日午後3時、とうとう旧東海道の終点、三条大橋の上に立った
実に27日(6泊)の徒歩の旅であった


京都市東山区




三条河原







橋を渡ると左の袂に京人形風の弥次喜多像がある
その隣で通りがかりの女性に頼み記念撮影をした

写真のTシャッツは、昨夜(大津での前夜祭)の旧東海道の仲間
E氏に作って頂いたものである

この後、三条河原に降り、持参のビールとウィスキーで

連れのH氏と祝杯をあげた

街道歩きが始めてのH氏も、水口宿からここまでの3日間、良く頑張ったものである


☆ ☆ ☆

昨夜の仲間を始め、道中で様々な御支援を頂いた多くの皆様
ネットを通じて、いろいろ教えていただいた皆様
そして最後の道程に同行してくれたH氏に感謝の意を表して
旧東海道五十三次、ぶらり徒歩の旅の写真集を終わりとします

約1年間、最後まで見ていただきありがとうございました



京都市下京区三条大橋




京都駅前



三条河原で祝杯をあげた後、京都駅でビールを飲み直した
そして、その夜の新幹線であっという間に帰宅した


昨年の10月に日本橋をスタートし、13ヶ月掛けての踏破である
終わってみれば、あっけなかったが
最初は、まさか京都まで本当に踏破出来るとは思っていなかった



☆ ☆ ☆

出発 日本橋  2004.10.17
到着 三条大橋 2005.11.29
6泊27日 約500km踏破
費用(交通費、ホテル代のみ。除く飲食費等) 約26万円


京都市下京区京都駅前)

0511/0608

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略 図

経路 青線部 25.70km













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