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旧中山道六十九次 ぶらり徒歩の旅 29

大妻籠〜馬籠峠〜43馬籠宿


作者 Hitosh



大妻籠


妻籠橋・旧中山道



妻籠宿を朝7:30に出立

妻籠宿の西木戸を出ると蘭川に掛かる妻籠橋の畔にでる
妻籠宿はこの蘭川沿いの宿場となっている

大平街道(国道256号線)を横断すると
旧中山道は、再度快適な細い山道となる


(長野県南木曽町妻籠)



大妻籠・集落








蘭川に掛かる大妻橋を渡ると
石畳の急な坂となり、上りきったところが大妻籠の集落である

大妻籠には卯建(うだつ)の上がった大きな民家が多い
そのまま民宿となっているところもあった

この大妻籠からは、男だる川(男垂川)沿いの急坂となる


(長野県南木曽町大妻籠)



馬籠峠

下り谷・石畳



見事な石畳が再現されている

朝の旧街道は快適であったが
霜が降りていて、少し滑りやすかった

しばらく行くと、樹間より滝の音が聞こえてくる


(長野県南木曽町上久保)



雄滝・雌滝





雄滝(上写真)と雌滝(下写真)が近くに並んでいる

雄滝は男だる川の滝で、雌滝は一石栃沢の滝である

吉川英治の「宮本武蔵」の舞台となったところだ
小説では「男垂(おたる)の滝」となっている

武蔵とお通が出会い、武蔵が抱きしめようとした時
お通に「そ、そんなことっ。あなたともあろう人が」と言われたところだ

この滝を背景に、二人の緊張した心の葛藤を描いた名場面である


(長野県南木曽町下り谷)



下り谷・神居木







下り谷から馬籠峠の頂上まで、山間の急坂が続いている

途中左手に、樹齢300年、高さ41mのサワラの巨木がある
耐水性が強く、風呂桶や壁板に適しているという

樹木の下枝が立ち上がっている特異な枝ぶりの樹木(針葉樹)を
神居木(かもいぎ)と言うそうだ
山の神が腰を掛けて休むところとのこと


(長野県南木曽町下り谷)


一石栃・立場



視界が広がったところがかつての「一石栃(いっこくとち)白木改番所跡」である
写真の右奥である

尾張藩は、この辺一体を留山(禁伐区)に指定して
森林資源の保護を図ったとのこと

白木改番所は、材木の抜け荷の取締りを行ったところである

左の建物は、かつての立場茶屋跡である
ここに7軒の茶屋があったという
今は1軒だけ残されている


(長野県南木曽町一石栃


馬籠峠・頂上






一石栃から坂を上りきったところが馬籠峠(標高801m)である

ここから坂を下れば、馬籠宿となる
ここで大休止を取った

頂上には真新しい岐阜県の標識があった

いわゆる木曾街道は馬籠宿が最後であるので
奇異な感じがするが、現在の行政上、ここが県境となっている


(岐阜県中津川市馬籠)



間の宿・



峠を少し下ったところにある妻籠宿と馬籠宿の間(あい)の宿・峠の集落である
江戸時代の建物が多く残されているところだ

江戸時代には公式の伝馬制度のほかに、中馬(ちゅうば)と呼ばれる
民間の輸送機関があった

馬籠峠は、道が険しいため、馬で無く牛が使われていた
その牛方の宿として栄えていたところである


(岐阜県中津川市馬籠)



梨木ノ坂・水車塚






さらに梨木坂を下ると、沢を挟んで反対側に水車小屋がある

明治27年に大雨で沢が氾濫して
ここに住んでいた蜂谷義一の一家4人が亡くなった

ここにその蜂谷一家の供養塔があり
島崎藤村が碑文を書いている

「山家にあり 水にうもれたる 蜂谷之家族四人之記念に  島崎藤村しるす」


(岐阜県中津川市馬籠)


43馬籠宿


馬籠上陣馬・恵那山




陣馬坂より目の前に大きく恵那山(2191m)が聳えている

天正12年(1584年)、小牧・長久手の戦いのとき
徳川方の武将が馬籠城を攻める際に、ここに陣を敷いたという


(岐阜県中津川市馬籠)



43馬籠宿・入口




陣場より急な坂を下り、高札場跡を過ぎると
坂道の両側に中山道43番目の宿場・馬籠宿の町並みが続く

馬籠宿は本陣1、脇本陣1、旅籠18軒であった

本陣、庄屋、問屋を務めたのが島崎家で
島崎藤村の生家である


(岐阜県中津川市馬籠)



大黒屋・藤村記念館





馬籠宿年寄役の大黒屋と、かつて本陣跡の藤村記念館である

大黒屋は右隣にある脇本陣の八幡屋とともに
酒造りを行っていた

藤村の初恋の相手「おゆふさま」は、この大黒屋の娘であったとか
そしてその左隣が本陣である

大黒屋が経済的に裕福であったが
本陣の島崎家は衰退の一途を辿り
本陣跡地は大黒屋の畑となっていた

昭和になって、大黒屋より本陣跡の土地提供があり
馬籠の村人の手仕事により藤村記念堂が建てられた

藤村記念館はこの記念堂、記念文庫、隠居所、案内所の
4つを統合したものである


(岐阜県中津川市馬籠)



馬籠宿・町並







藤村記念館を出ると
旧街道の両側は土産物屋が並ぶ観光地となっている

我々も久しぶりに、店に入り昼食をとった
地鶏丼と山菜蕎麦に五平餅である

旧街道を歩いていると、昼食を取るような店が無いため
いつもは持参した携行食か、コンビニがあればおにぎり、サンドイッチであった

しかし、旧街道にはコンビにすら、なかなか無いのであるから
昼食は悩みの種であった

今回は、観光地であったので
暖かい昼食にありつけた(感謝)

宿場の観光案内所で馬籠宿のパンフレットを
頂いたら、5円の代金(寄付金)を取られた


(岐阜県中津川市馬籠)


馬籠宿・枡形





宿場の入口に設けられた枡形である
この枡形は、他の宿場には例の無い、急斜面に設けられている

この枡形に常夜灯や水車小屋があった


(岐阜県中津川市馬籠)



馬籠宿・上方木戸




馬込宿の上方木戸を抜けると
次は44番目の宿場・落合宿である

これから歩く十曲峠が遠望できた

この十曲峠を越えると、いよいよかつての美濃路に入る
繰り返すが、馬込宿は木曽路最後の宿場であった

(平成17年より岐阜県中津川市となっている)


(岐阜県中津川市馬籠)

0612/0612

歩行略図

歩行距離 7.11km
(青線部を歩行)





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