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朝鮮人街道 6

安土城址


作者 Hitosh



安土城跡


大手門





安土城は織田信長が天正4年(1576年)、丹波長秀を総普請奉行に据え
標高199mの安土山に築城させたもの

写真は大手門跡と安土城入口である


(滋賀県安土町)



大手通り





大手通りと呼ばれる石積みの幅の広い階段である
舌の写真右手には前田利家邸があった
左手には羽柴秀吉邸である

さらに上の右手には徳川家康邸があった


(滋賀県安土町)



羽柴秀吉邸跡





大手通りの左側にある羽柴秀吉邸の跡である
楚石が発掘されている

主殿の復元図は掲示してあったが
かなり大きな邸宅であった様だ


(滋賀県安土町)



大手道





さらに大手通を登る
多数の石仏が階段の石として使用されている

築城工事を急ぐため、徴収されそのまま使用されていた


(滋賀県安土町)



黒金門跡




黒金(くろがね)門跡である

ここからが安土城の中枢部で、この先に三の丸
二の丸、本丸、そして天守があった

この辺が標高180mで、安土山の中では
最も高いところとなっている


(滋賀県安土町)


二の丸跡、織田信長本廟







二の丸跡に織田信長の本廟がある

秀吉がこの二のノ丸跡に信長の太刀、烏帽子、直垂等の遺品を
埋葬し本廟としたもの


(滋賀県安土町)



本丸跡






天守の直ぐ下に本丸があった
天守台を眼前に仰ぐこの場所は千畳敷きと呼ばれていた
東西に細長いこの敷地に中庭を挟んで3棟建っていたようだ
碁盤目のように並んだ礎石が119個発掘されている由


(滋賀県安土町)



天守台







安土城の天守台跡である
地上6階、地下1階の大きなもので
日本で始めて作られた天守である

往時の礎石がそっくりそのまま発掘され
1枚目の写真のように保存されている

2枚目の写真は1階部分に当たる石垣である
3枚目の写真は安土町城郭資料館にある
復元(再掲)された天守である

なお、安土城跡は国の特別史跡に指定されている


0705/0802



略図

経路 青線部




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