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朝鮮人街道 5

近江八幡〜安土


作者 Hitosh




活津彦根神社



朝鮮人街道を進むと左側西の湖畔に活津彦根神社がある

かつての豊浦庄の産土神である
天正4年(1576年)、安土城を築く時、信長がこの神社に参詣し寄進しているとのこと

あづち信長まつりの武者行列の拠点となっているところである


(滋賀県安土町)



安土町並み





安土の町並も古い

秀次により八幡城が築かれた時
安土の住民は近江八幡の城下町に強制移住させらている

従って、現在の町並みはその後に出来たと思われるが
それでも多くの旧家が残されていた


(滋賀県安土町)



安土駅







安土駅前には当然のように信長のブロンズ像

下の写真は売店と休憩所、食事処となっている


(滋賀県安土町)



安土町城郭資料館









中世の安土に関する資料を中心に集めた資料館

中でも、1/20縮尺で再現された安土城は見事であった
内部の構造まで見られるようになっている

また4枚目の写真は、天正少年使節の一行の行程を
加納永徳が屏風絵に描いた画風に似せて
陶板壁画として創作したもの


(滋賀県安土町)



セミナリヨ跡








安土駅前より安土城のあった安土山(190m)に向かう

途中右手にセミナリヨ跡がある
信長の許可を得て、イタリア人宣教師オルガンチノによって
天正9年(1581年)に日本で最初に作られたキリシタン神学校の跡である

現在はその一部が整備され公園となっている


(滋賀県安土町)



安土山山麓







安土山の山麓である
2枚目の写真の左の山が安土山である

この山沿いに北に向かう
そこに安土城の大手道跡がある

3枚目の右の山は繖山(きぬがさ山、440m)である

かつての佐々木氏18代の居城のあったところで
西国三十三ヶ所の32番目の札所観音正寺がある


(滋賀県安土町)

0705/0802/1807



略図

経路 青線部




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