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旧山陰道 15

北栄町由良川〜17由良宿




北栄町・由良宿


由良川



由良川を渡ると、その左岸川沿いに発達した町が
山陰道17番目の宿場由良宿である

現在の北栄町(ほくえいちょう)由良宿である

つい最近までは東伯郡大栄町由良宿であったが、
平成17年に隣の北条町と合併し東伯郡北栄町となった

写真のすぐ上流がに条川との合流点があり
かつては郷原と呼ばれ、低湿地帯であったところである


(鳥取県北栄町由良宿)



由良駅前







由良駅前の通りである
駅の前には「名探偵コナン」のブロンズ像があった

作者の青山剛昌は、ここ由良宿の出身とのこと

駅から道の駅「大栄」を結ぶ通りはコナン通りと命名され
名探偵コナンに関するブロンズ像やマンホールの蓋等が出来ている


(鳥取県北栄町由良宿)


由良藩倉跡と船着場跡





由良川の麓に、鳥取藩の由良藩倉跡がある
由良川の水運を利用出来るこの地に作られたものだ

近郊の村々から、8000石の年貢米運び込まれたという
因幡・伯耆の中では、鳥取、米子、橋津に次いで4番目に多い量であった

この周囲には、防火のための空地、火除け地が設けられていた
今は、当時の藩倉の横にあったという稲荷社のみが
残されている(上の写真)

又、右側の屋根の下には、海より引き揚げられた
江戸時代の千石船の碇が置いてあった

下の写真は藩倉の前にある由良川の船着場跡である


(鳥取県北栄町由良宿)



由良川人道橋





由良川に架かる人道橋を渡り、対岸に向かう

上の写真は由良川の河口側を見た写真である
前方の橋は、現在の国道9号線(山陰道)である


(鳥取県北栄町由良宿)



対岸より元船着場



対岸より元船着き場を見た写真である
川には鵜や渡り鳥が羽を休めていた


(鳥取県北栄町由良宿)



マリーナ大栄



河口付近のマリーナ大栄

河口付近で、多数のプレジャーボートが無秩序に係留され
洪水時の流れを阻害していたので
旧大栄町を中心に第3セクターを設立し、作られたマリーナである

この右背後が由良の砲台跡である

江戸時代の末期の1863年外国船打払い、海岸防衛のために作られたものだ
当時、鳥取藩は境、淀江、赤碕、橋津、浜坂、賀露、浦富に台場を建築した

往時の砲台の原型をそのまま留めているのは
日本では此処だけとのことで、国の史跡に指定されている


(鳥取県北栄町由良宿)



由良川河口と北条砂丘





河口まで行ってみた

波が恐ろしいほどであった
また、河口が非常に狭いのにも驚いた

この河口は、日本海の強烈な浜風に押された砂で
塞がれてしまうことが多かったようだ

また、汽水の逆水現象を起こして、良く洪水になったとのこと

北条砂丘(下の写真)は湯梨浜町の天神川河口から
西の北栄町大谷集落まで
日本海に沿った東西12km、幅南北1.8km
にわたって発達したものだ


(鳥取県北栄町由良宿)



日和川





由良川と河口付近で合流する日和川を少し遡上すると
旧山陰道に入る

山陰道17番目の宿場・由良宿である

この日和川にもかつては多くの小船が停泊していたという
そして、茶屋が出来、賑わっていたとのことであった


(鳥取県北栄町由良宿)



17由良宿









由良宿の町並みである

1枚目の写真は由良藩倉の役人遠藤家(屋号橋津屋)である
藩倉には、御倉奉行の下、御目付け、米刺し、鍵預かり等の役人がいた由

この遠藤家は、丁度藩倉の表門付近にあったという

3枚目の写真は、伯州一の刀鍛冶「道祖尾家(きいいのおけ)」の
末裔宅である
屋号は鍛冶(梶)屋とのこと

この後、山陰道18番目の宿場・八橋に向かう


(鳥取県北栄町由良宿)
0802/0803


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