琴浦町・八橋
八橋、街道筋
洗川を渡ると八橋(やばせ)に入る
八橋は洗川と八橋川に挟まれた地域で鳥取県の略中央に位置している
以前は東伯町八橋であったが
平成16年に赤崎町と合併して東伯郡琴浦町となっている
伯耆大山の北斜面の海岸の町で、古くは菊里と呼ばれていた
江戸時代は鳥取藩家老の津田氏の陣屋があったところだ
琴浦とは、この辺一帯の海岸が琴ノ浦と呼ばれていたことによる
川沿いに港に出てみた
(鳥取県琴浦町八橋)
八橋湊
黒光りした見事な瓦屋根が続く家並みである
下の写真は港の路地で旧街道では無い
(鳥取県琴浦町八橋)
八橋海岸
八橋海岸
夏には海水浴場となるところである
小泉八雲と妻セツがここを訪れたことを記念して
海岸に立派な、「小泉八雲、セツ来訪記念碑」が建っていた
(鳥取県琴浦町八橋)
18八橋宿、枡形
街道を行くと、旧宿場入口らしく道がクランク状(枡形)に曲がっている
その角に立派なお寺(法輪寺)があった
(鳥取県琴浦町八橋)
八橋宿・町並み
1枚目の写真は旅館中井との看板が出ていた
今は営業していないが、ここに小泉八雲と妻セツが泊まったと言う
2枚目の写真は造り酒屋(原酒造)である
玄関には酒林(さかばやし、杉玉とも)が掛かっていた
酒林とは杉の葉を束ねて球状にし、軒先に掛け看板としたものである
(鳥取県琴浦町八橋)
八橋城址
JR八橋駅前に出る
駅の手前右手に八橋城址がある
江戸時代、鳥取藩の陣屋で家老の津田氏が治めていた
歴史は古く、中世は行松氏の居城であったが
文永4年(1524年)に尼子経久に攻略され、ここを伯耆支配の拠点とした
その後、毛利氏に滅ぼされ、毛利勢の拠点となった
天正年間、織田氏との対決の時、この城は再整備され
本丸と二ノ丸が造られ、周囲には堀が造られた
しかし、江戸時代の元和3年(1617年)に
池田光政が鳥取藩主になった時、一藩一城制となり
ここは廃城となり、陣屋となった
なお、城山はJR山陰本線により分断されているので
実際の大きさはもっと大きかったとのこと
(鳥取県琴浦町八橋)
JR八橋駅
JR山陰本線八橋駅である
なかなかユニークな駅舎であった
地区センターを兼ねているようであった
(鳥取県琴浦町八橋)
八橋駅前通
八橋駅前通りである
実に落ち着いた雰囲気の町並みであった
街道の町並みを抜けると、次は19番目の宿場赤崎である
(鳥取県琴浦町八橋)
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