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旧長崎街道 8

御笠川〜大宰府天満宮〜JR博多駅




筑前・太宰府

御笠川・五条橋





太宰府市役所の東側を流れている御笠(みかさ)川

太宰府市の宝満山(829m)を源流とし、太宰府天満宮の西側
大宰府政庁跡の北側を流れ、博多湾に流入する河川

川名は、日本書紀に出てくる「御笠森」に由来
突然つむじ風が起こり、神功皇后の笠がこの森まで吹き飛ばされたことによる由


(福岡県太宰府市観世音寺)


太宰府駅前





御笠川に架かる五条橋を渡り、川沿いに北上すると西鉄太宰府駅前に出る
西鉄太宰府線の終着駅である

この線は、開業当時(明治35年)は馬車鉄道であったが
SLを経て、昭和2年には電化されている

この駅前から天満宮にかけては古くからの商店街となっている


(福岡県太宰府市宰府)


太宰府天満宮大鳥居





天満宮の大鳥居

参道は「天神様とおり」と呼ばれている
道の両側は、土産物や飲食店となっている

「梅ヶ枝餅」を扱っている店が多い
ここの名物である

京を離れ、淋しく暮らす菅原道真を慰めるため
梅の枝にだんごを刺して差し上げたのが始まりといわれている
餅米粉を練り上げ、薄い皮をつくり
それに小豆あんを包んで焼いたものだ


(福岡県太宰府市宰府)




元延寿王院跡



参道正面に天満宮宮司西高辻家
廃仏毀釈までは延寿王院(えんじゅおういん)と呼ばれた屋敷がある

ここに幕末の慶応元年(1865年)から王政復古の慶応3年まで
尊皇攘夷派の三条実朝等5人の公卿が追放の身を寄せていたところである

ここで、参道は直角に左折している


(福岡県太宰府市宰府)




菖蒲園







古い石造りの鳥居を潜ると、目の前に太鼓橋がある

その手前を右に曲がったところに菖蒲園がある


福岡県太宰府市宰府



太鼓橋、心字池







太鼓橋に戻る

心字池(しんのじいけ)に架かる、太鼓橋、直橋そして太鼓橋と三つの橋を渡る
心字池とは、文字通り「心」の字を模った池である

この橋は仏教で言う、過去、現在、未来の三世一年の相を表したもので
この池の橋を渡ることにより、三世の邪念を祓うと言われている

参拝者の身を清める役目を担っているわけだ


福岡県太宰府市宰府



志賀社



参道途中の右手にある志賀社

古代後期より中世に掛けて海外貿易を行っていた
安楽寺(現太宰府天満宮)が海上安全の海の神として祀ったもの

国の重要文化財に指定されている

当初は金の金具をふんだんに使った建造物であったが
消失したため、現在のものは長禄2年(1438年)に再建されたものである


福岡県太宰府市宰府



太宰府天満宮







最後の鳥居と楼門、そして総檜皮葺きの本殿である
この本殿は国の重要文化財に指定されている

菅原道真は平安前期の学者・政治家で、文章博士、蔵人頭等を経て
右大臣になったが、左大臣藤原時平の讒訴により
延喜1年(901年)に、大宰権師(ごんのそつ)として
大宰府に左遷され、2年後にここで亡くなった

菅原道真の歿後、京で疾病や異常気候など不吉なことが続いため
道真の祟りと恐れられ、是を鎮めるために
延喜19年(919年)、道真の墓のあったここに社殿が造られたのが始まりである

同時に京都でも、北野天満宮が造られた

なお、太宰府天満宮、北野天満宮と防府天満宮が三天神と言われている
防府天満宮の代わりに、亀戸天神社や湯島天神宮、大阪天満宮
綱敷天満宮(神戸)を指す場合もあるようだ


福岡県太宰府市宰府



天満宮狛犬





太宰府天満宮の狛犬はちょっと変わっていた
目には玉が埋められており、口中の舌まで表現されている

下の写真は心字池の前にある立派なお休処である
ここの椅子で休憩した後、西鉄太宰府駅に戻った


福岡県太宰府市宰府



西鉄二日市駅前



西鉄太宰府線で、二日市駅まで行き
ここからバスに乗り、JR二日市駅に向かう

西鉄二日市駅は大正13年に開業した
太宰府線の始発駅で、また西鉄天神大牟田線の駅となっている


(福岡県筑紫野市)



鹿児島本線



JR二日市駅から鹿児島本線で博多駅に向かう
約20分で博多駅に着く

黒いフェースの車両には驚いた


(福岡県福岡市)



博多駅筑紫口





JR博多駅の筑紫口前である
ここで駅前のホテルに泊まる

夜、ホテルのレストランで、打ち上げを行った

東京・日本橋から旧中山道、若狭海道(鯖海道)、丹後街道、山陰道、山陽道
そして長崎海道経由で九州の中心であった大宰府までの
正に西日本横断達成の最後の夜である

江戸日本橋から此処まで、同行頂いた写真家H氏と
無事の到着を祝って祝杯をあげた


(福岡県福岡市博多区)



博多駅博多口前







翌朝、博多駅の反対側の博多口前の写真である
博多駅は全国でも珍しい市名と名称が違う駅だ

慶長年間、黒田長政が那珂川西部に城を築き
城下町の名を黒田家所縁の備前国福岡と同じ福岡とした

那珂川を挟んで東側は商人の町で、従前からの博多と称した
市制を敷くとき、どちらの地名を取るか揉めた様だが
福岡となった経緯がある

古代の九州の中心が大宰府なら、現在はこの博多駅が中心で
九州の主要都市を結ぶ特急や、本州と結ぶ寝台列車、新幹線等の
九州最大のターミナル駅となっている

ここから新幹線で本州へ向かう
東京までの道中が長いので
途中広島と尾道、福山に立ち寄ってから帰宅した


☆☆☆

是で、西日本横断の旅は取り敢えず完了である
九州各都市への旧街道歩きは、また別の機会に挑戦予定である

江戸日本橋からここまで、長期間にわたり
何かとご支援をいただきありがとうございました


(福岡県福岡市博多区)
0806/0812


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