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日光道中ぶらり徒歩の旅1

日本橋〜浅草橋〜駒形



江戸


日本橋





日本橋に立つのは3度目である

東海道五十三次、中山道六十九次の出発の時
そして今回は奥州街道の第一歩である

奥州街道は宇都宮までは日光道中、白河までは奥州道中
そして、その先は仙台松前道とも呼ばれていた

今回は、青森県の三厩(みんまや)が当座の目標である
約800kmの距離だ

先を考えると、ぞっとするので取り敢えず日光を目指すことにする


東京都中央区日本橋)




日本橋三越前



日本橋を渡り、この少し先までは、中山道と同じ道である
日光道中は日本橋本町の交差点を右折し細い道に入る


東京都中央区日本橋)


小伝馬町





右折して、少し進むと大伝馬町となる
そこを左に曲がると小伝馬町である

かつて、江戸伝馬町牢屋敷のあったところだ
上の写真は江戸伝馬町処刑場跡(現安楽寺)である

下の写真は、かつての牢屋敷跡(現十恩公園)にある
石町(こくちょう、現在の日本橋本町)の銅鐘である

寛永3年(1626年)、江戸に最初に出来た時刻を告げる時の鐘である
当時のものは火災で破損したので、現在のものは
宝永8年(1711年)に修理改鋳されたもの

江戸時代の川柳に
「石町は 江戸を寝せたり 起こしたり」


東京都中央区日本橋小伝馬町)




横山町繊維問屋街



横山町の繊維問屋街である
旧日光道中の両側は繊維問屋がずらりと並んでいるところだ


{東京都中央区日本橋横山町)




浅草見附跡・浅草橋








目黒川に架かる浅草橋の手前に浅草見附跡がある
ここで道中の警護をしていたところで、今は交番となっている

この川を渡ると台東区となる

浅草観音の道筋にあたることから
ここにあった幕府の警護用の門を浅草御門と言った

その前にある橋であるから当初は浅草御門橋であったが
後に浅草橋と呼ばれるようになった


(東京都中央区日本橋馬喰町)




浅草橋駅前






浅草橋一丁目交差点、目の前のガードはJR総武線である
街道沿いは、人形店が沢山並んでいるところだ


(東京都台東区柳橋)


浅草蔵前、天文台跡




ここの右手隅田川沿いに幕府の米蔵が建っていたところである
それで蔵前と呼ばれるようになった

また、ここに幕府天文方の天文台が、天明2年(1782年)に設けられていた


(東京都台東区浅草橋




駒形



さらに進むと駒形である
この店は江戸時代から続いている鰌屋である

創業200年とのこと

この次の交差点が駒形橋である
地下鉄都営浅草線の浅草駅のあるところだ

浅草寺の雷門が遠望できるところである


(東京都台東区駒形

0709/0709


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略 図
経路青線部 距離4.03km











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