水郷・潮来
Itako

アヤメ園
  潮来(いたこ)は初めてであった。部下のS嬢の結婚式に招待され、車でやって来た。都心から高速道路(東関東自動車道の終点が潮来)が完成しているので、あっと言う間に着いてしまう距離となった。
  潮来は、常陸国府(現石岡市)と鹿島神宮を結ぶ要衝の地であり、利根川に沿った標高4〜5mの自然堤防州の上に発達した町である。元は板久(いたく)と呼ばれていたが、徳川光圀によって、今の潮来と改められたとの事。
水郷
  6月の観光シーズンであったため、もの凄い人出であった。観光用の小舟も、狭い水路を覆うような有様であった。この辺は、霞ヶ浦、北浦、そして利根川に囲まれた低湿地帯で、文字通り日本有数の水郷として知られている。また、今はその面影が無いが、昔は廓が多数軒を並べた大歓楽街でもあった。
  潮来での結婚式は、伝統的に豪勢であった。茨城の人の結婚式や、祝い事は、関東随一の派手さである。今回の結婚式は、文字通り「潮来の花嫁」であったが、披露宴は朝の10時から、午後3時までの長丁場であった。
  バンドが入り、プロの歌手も登場するといった具合だ。近所の人も含め総勢200人位の参列者が、延々と、酒宴を続けるのである。流石に、私しもしたたか飲み、すっかり酔ってしまった。
  宴の後、酔いを覚ますのに、このあやめ園を始め、水郷の風景は、丁度良かった。初夏の日射しを浴び、のんびりと酔いを覚ました後、帰路についた。  
潮来アヤメ園
  ここは、常陸(ひたち)利根川沿いにある、町営のアヤメ園で、約500種、100万株もあり、5月から6月が見頃とのことであった。そして、常陸利根川と、利根川の間にある佐原の十二橋と共に水郷見物の目玉となっている。
  佐原と言えば、あの四千万歩の男、伊能忠敬旧宅や記念館が残されている。「一身にして二生」を経た忠敬の生き方(50才になってから、今までの生き方を変え、測量に走った)は、今の日本の高齢化社会の生き様を示唆しているようでもある。
常陸利根川
  アヤメ園と土手を境にして、反対側は霞ヶ浦から海に向かって流れ出す大河、常陸利根川である。
  ここより少し下ったところで、この川は利根川に合流し、そのまま犬吠埼から太平洋に注ぎ込んでいる。まさしく、大利根川の終点である。


ルート

東関東自動車道 潮来インター

成田〜潮来〜潮来アヤメ園
〜常陸利根川〜佐原


歩行 2時間 
駐車場

潮来アヤメ園  有料

9406/0106/0507

悠々人の日本写真紀行 Part1 全国版
Part 1
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