日本写真紀行
多摩川写真紀行

宿河原堰提
Syukugawara Sekitei

宿河原堰堤
  二ヶ領(にかりょう)宿河原用水の取水口である。この堰は、平成11年に改築されたもので、魚道が設けられている。
  堰の袂には、「二ヶ領せせらぎ館」が出来ており、川崎市民の多摩川水辺再発見活動の情報拠点となっており、各種資料等が展示されている。
  多摩川土手右岸で一番綺麗なトイレもあり、サイクリストの格好の休憩場所ともなっている。  
二ヶ領せせらぎ館
  5月の連休には大きな鯉のぼりが立てられ、目を楽しませてくれている。自転車の人だけでなく、ウォーキングしている人の多い所でもある。
  なお二ヶ領とは、当時の川崎領、稲毛領を指し、二つの領を潤す二ヶ領用水という意味で呼ばれた由。この二ヶ領用水は、江戸時代(1597年)、家康の命を受けた代官小泉次太夫により、開削されたもので、完成は1611年となっている。  
小田急線鉄橋と宿河原用水取水口
  小泉次太夫は、この外に、対岸の世田谷・六郷用水(丸子川)も開削している。
  二ヶ領用水の当初の取水口は、上河原堰堤のみであったが、用水の水量の安定確保のために、ここの宿河原堰堤が追加され、1629年に完成したとのこと。
  この用水を宿河原用水と言い、高津区の久地駅付近で、二ヶ領用水に合流している。二ヶ領用水は現在のほぼ府中街道沿いを流れている。
  また、宿河原用水の川沿いは桜の名所として知られ、緑道も良く整備されている。
舟島稲荷
  今の狛江市に、道祖神(疫病や悪霊から道を守る神)として祀ったのが始まりで、その後、土地の農民が治水興農の氏神として祀ったとのこと。また沓(くつ)稲荷とも言われていた由。これは、馬の健脚を祈願して、馬のわらぐつを奉納したことが始まりとか。
  いずれにしろ、この地の農民の氏神様であった様だ。ただ、この稲荷は多摩川の流れが変わり、現在は狛江市側ではなく、多摩川の右側土手(川崎側)の内側(河川敷)にあり、洪水の時は水没してしまう所にある。  
堰堤下流 
  多摩川には両岸に同じ名前の地名が多いのは、多摩川が暴れ川で、その流れを良く変えていたため、元の一つの村を複雑に分割してしまったからである。
  この付近では、東京側と神奈川側に、押立、布田、和泉、宿河原、宇奈根と同じ地名がある。少し下流であると、等々力や丸子がある。全て、元は一つの村であった所だ。
堰堤の下流
  この辺は、川の流れが良く、多くの人が釣りをしている所である。水も比較的綺麗だ。
  ここ狛江地区はかつて(昭和10年頃まで)はアユの好漁場で、川に足を踏み入れるとアユがぶつかってくるほど、大量のアユが登ってきたそうだ。アユ解禁日の6月1日の午前0時には、合図の花火が、この少し上流の小田急の鉄橋付近で打ち上げられた由。今はその面影は無い。   



ルート

 
JR南武線 登戸又は宿河原駅
〜多摩川土手〜宿河原堰提
〜二ヶ領せせらぎ館
〜舟島稲荷〜河川敷

歩行 1.5時間

休憩所・駐車場

駐車場 なし
 
トイレ・休憩所 せせらぎ館にあり

0305/0308/0507

悠々人の日本写真紀行 Part1 全国版
Part 1
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