駒場東大前
Komaba


駒場東大前駅
  非常に懐かしい所で、久しぶりの撮宴会が行われた。今回は地元のM氏が幹事役であった。参加者も多く、長野のF氏、清水のSさんを交え、総勢10人の撮影会となった。
  集合場所の「駒場東大前」は、私の家内と初めてのドライブの時に、待ち合わせ場所に使ったところであった。今は歩道も出来、当時の面影は感じられなかったが、思い出多い所であった。
旧前田侯爵邸
  この井ノ頭線沿線は、学生時代に通学に使った所で、私は井ノ頭線の「明大前」に、そして家内は「下北沢」に住んでいた。丁度フォークソングの「神田川」や「赤提灯」で描かれた時代のことである。あれから、35年以上の年月が経っているのであるから、当時の記憶は殆ど薄れている。
   左の写真は駒場公園でのものである。もとの旧加賀藩主の前田侯爵邸の跡地がそっくり公園に指定(1967年)されたものだ。 
  この洋館が、前田侯爵の邸宅であった。今は、東京都近代文学博物館として公開されている。中には、近代文学に関する資料(手紙や原稿、写真、初版本等)が保存展示されている。
  八王子のH氏と、中で「隅田川界隈の文学散歩」と題したビデオを見た。以前に、H氏と共に、撮影会で出かけた佃島付近も紹介されていた。東京の下町のど真ん中を流れる隅田川は、確かに多くの文人がいろんな場面で取り上げている。  
和館
  この和風書院作りの建物は、皮肉なもので、前田侯爵が外国人客専用の接待用に建てたものとか。そして、ご自分は、前述の洋館に住んでいたと言うから、本末転倒の感じがしないでもない。
  現在、1階の客間や茶室、中庭が無料で公開されている。外国人ではなく、多くの日本人が見学していた。
東大駒場
  駒場は、武蔵野台地の上にあり、もとは駒場野と呼ばれる原野で、江戸時代には幕府の馬の調教所であった。また鷹狩りの場所でもあった。
  そんな面影が、駒場公園や広大な東大の構内に残されている。元々は駒場農学校として開設され、後に東大農学部となり、今は東大教養学部となっている。八重桜が丁度満開であった。
  我々は、八重桜並木のある、グランド脇を通り、学生時代を思い出すかのように構内を散策した。本郷(東大)は医学部がある為もあるが、何年も通ったことがある。しかし、この駒場は初めてであった。
  側には何回も来たことがあるが、このキャンパスに足を踏み入れたことは無かった。同じ駒場東大前の駅でも、下車するところが全くの反対側(下北沢より)であった。
  野球グランドと八重桜、如何にも歴史のある東大での光景だ。日曜日の今日、野球をやっている人は無く、ホームベースだけが、寂しく輝いて見えた。
  世の流れとはいえ、今は東大の女性のピッチャーが6大学野球に登場するご時世である。隔世の感がした。そんな移ろいをこの桜の木は黙って見下ろしていたのであろうか、そんな感じがした。
旧東大駒場寮
  一世を風靡した、東大の駒場寮も今は荒れるに任せている。一部の学生による、駒場寮復活の運動が展開されているが、こうやって見ていると、何か空しい感じがした。
   外壁は、蔓で覆い尽くされている。中にも入ってみたが、それこそ荒れるに任せていた。
駒場東大前
  構内を出て、井ノ頭線の「駒場東大前」の渋谷駅よりの駅前である。お馴染みの時計台のあるところだ。
  このあと、ここから井ノ頭線で渋谷に向かった。そして、焼き肉屋での食べ放題の宴会となった。したたか、生ビールを飲んだが、疲れた身体には丁度良かった。



ルート

渋谷〜駒場東大前〜駒場公園
〜旧前田邸、東京近代日本文学博物館
〜東大キャンパス〜旧駒場寮
〜駒場東大前〜渋谷


徒歩 3時間



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悠々人の日本写真紀行 Part1 全国版
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