悠々人の日本写真紀行

旧中山道六十九次 ぶらり徒歩の旅(1)

お江戸日本橋
Nihonbashi

日本橋
  前回の東海道徒歩の旅の時、ここ日本橋から出発した。その時は、京都まで踏破出来る自信は無く、どこまで行けるか心配であった。また出発もただ一人であった。
  しかし、今回は写真仲間3人が途中まで同行してくれることになった。すでに東海道を完歩しているので、最初から目標は京都である。東海道の時と違い、出発に当たっての気負いは不思議な程無かった。徒歩の旅にすっかり慣れてきた感じである。
日本橋川
  朝9:00、写真仲間と日本橋で待ち合わせをして出発した。これから旧中山道六十九次、135里24町8間(約533km)の旅のスタートである。
  日本橋は隅田川と江戸城(現皇居)の外壕とを結ぶ日本橋川に架かる橋で、橋の中央には、日本国の道路元標が埋め込まれている。
  最初の橋は、慶長8年(1603年)、徳川家康により架設され、日本の中心の橋として「日本橋」と呼ばれるようになった。当時の橋は長さ43間(78.2m)であった。現在の橋は明治44年に架設されたもので、関東大震災や空襲にも耐えた橋である。国指定重要文化財となっている。  
日本橋高札場
  橋の南の袂に高札場跡が残されている。今は日本橋由来の碑が建っている。説明によると、日本橋付近は富裕豪商が軒を並べ、橋上は貴賎の別なく往来があり、昼夜絶えることがなかったとある。
  幕府は東海道、中山道、日光道中、奥州道中、甲州道中の五街道の基点を日本橋とした。また重要な水路であった日本橋川と交差する処として、江戸経済の文字通り中心で、賑やかな所であった。
日本国道路元漂
  
車の通りの合間を縫って、橋の中央の分離帯に埋め込んである「日本国道路元標」を写真に撮った。ここが日本全国の道路の距離の基準点となったいるところである。
  この複製品が、橋の袂の「道路元標の広場」に設置されている。そして、ここからの日本全国主な場所までの里程表が設置されている。  
道路基標の広場
  橋の北側の袂にある道路元標の広場である。ここに設置されている里程表には主要都市までの距離が記されている。
  一例を挙げると、西は甲府(131km)、名古屋(370km)、京都(503km)、大阪(550km)、下関(1076km)、鹿児島(1467km)、東は新潟(344km)、仙台(350km)、青森(736km)、札幌(1156km)等までの距離がそれぞれ記されている。まさに日本の道路の基準となる場所である。
日本橋魚市場発祥地
  中山道を挟んで反対側の袂には日本橋魚河岸記念碑が建っている。この辺りは魚河岸として賑わったところで、佃島の漁師たちが将軍に納めた魚の余ったものをここで売ることを許されたのが始まりである。
  この魚市場は、大正19年(1923年)の関東大震災後に築地に移転するまで続いた。
日本橋三越本店前
  日本橋を一歩踏み出すと、左手に百貨店の三越本店がある。かつての越後屋である。この辺一帯は伊勢、近江、京都等の上方の商人の江戸店(えどだな)が、軒を並べていたところである。
  前方の道が旧中山道である。この先右手に三井越後屋ステーションがある。
三井越後屋ステーションビル
  最近オープンした三井越後屋ステーションビルである。江戸時代の大呉服商の三井越後屋の外観を再現したものである。ここが江戸の流行の発信地とまで言われたところであった。
  三井越後屋ステーションでは、日本橋の老舗各店の商品の販売や多種の企画展示会等が趣向をこらして行われている。
  この前を通ると、かつては十軒店と言われた人形を売る店や、陶磁器商、薬種商を商う店が並んでいたという。今でも、問屋街となっているところだ。
神田駅前
  JR山手線神田駅のガード下である。車の排気ガスで真っ黒になったブロンズ像があった。彫刻家田中昭作の「健やかに」と題するものである。
  田中氏は、富山県生まれで昭和24年に日展初入選、以後日展特選、内閣総理大臣賞などの受賞もしている彫刻家である。
  神田駅は東京駅の隣の駅で、JR山手線、京浜東北線、中央線と、営団地下鉄の銀座線が通っている。中山道歩きでは、最初の駅前であった。
秋葉原
  駅前を抜けると、正面に秋葉原の電気街が見える。写真は、神田須田町交差点より秋葉原万世橋方面を見たものである。道路を横断している鉄橋はJR中央線である。
  旧中山道は左手の細い道に入り、元の交通博物館の前に出る。この辺に「筋違見附(すじちがいみつけ)」のあったという。
  道沿いに進み、JR中央線のガードを潜ると、神田川に出る。JRの秋葉原駅と御茶ノ水駅の略中間点である。
昌平橋
  神田川は三鷹市にある井の頭公園を源流とする川で、隅田川に流入している川である。この神田川から取水した神田上水が江戸の貴重な水道として利用されていた。かぐや姫のフォークソング「神田川」を思い出すところである。
  その神田川に架かる橋が昌平橋である。寛永年間(1624〜44年)の架設されたとのこと。橋の名前の由来は上流左岸にある幕府直営の漢学校昌平坂学問所よりきている。昌平とは、孔子生誕の地名のことである。
  この橋を渡ると、次は湯島となる。未だ江戸の内である。 



ルート
 
銀座線「日本橋」〜日本橋
〜元標の広場〜三越〜神田駅
〜神田川・昌平橋


歩行距離 1.75km


休憩所・トイレ

公園等なし
百貨店三越本店

名 物

梅ぼ志飴:栄太郎本舗(安政年間創業)
味付海苔:山本海苔店(嘉永2年創業)
海苔:山形屋(明和元年創業)
鰹節:八木長(元文2年創業)
銘茶:山本山(元禄3年創業)
漆器:黒江屋(元禄年間創業)
和紙:はいばら(文化3年創業)
他、多数



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歩行略図
青線部を歩行



0602/0708
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