悠々人の日本写真紀行

旧東海道五十三次 ぶらり徒歩の旅(1)

お江戸日本橋
Nihonbashi

日本橋三越デパート 日本橋三越
  少し興奮気味で、地下鉄銀座線の「三越前」駅より表に出た。写真は正面玄関の御馴染みのライオンの彫像である。三越の前身の越後屋は、天和3年(1683年)にここで現金掛値無しの呉服店として開業したというから歴史がある。
  三越より日本橋までは、160mの距離だ。いよいよ、日本橋からの旧東海道歩きのスタートと思うと、胸が躍る感じであった。
  終点の京都までは約500kmの行程である。無事完歩できるのか不安ではあるが、先ずはその第一歩である。
日本橋 日本橋
   隅田川と江戸城(現皇居)の外壕とを結ぶ日本橋川に架かる橋で、橋の中央には、全国への道路元標がある。
  最初の橋は、慶長8年(1603年)、徳川家康により架設され、日本の中心の橋として「日本橋」と呼ばれるようになった。当時の橋は長さ43間(78.2m)であった。  
日本国道路元標 日本国道路元標
  現在の橋は明治44年(1911年)に架設されたもので、花崗岩で出来た欧風アーチ型の重厚な橋となっている。
  残念ながら、この橋の上を首都高速道路が走っているため、日陰となり景観は良くない。  
元標の広場 元標の広場
  
橋の袂(橋の手前右側)には元標の広場が出来ている。その中には、日本橋の中央分離帯に埋め込まれている「「日本国道路元標」(複製)や「里程標」があり、ここから主要地までの距離が刻まれている。
里程標
  里程標は東方面と西方面の二つに分けてある。写真は西方面の里程標である。
  鹿児島まで1469km、大坂550km、京都503km、甲府131kmと記されている。東方面には仙台350km、青森736km、札幌1156km等と彫られている。
  正に日本の道路の基点となる場所である。
日本橋袂
  橋の袂で、中高年のグループがおり、記念写真の撮影を頼まれた。これから日光街道を歩いて下るという。
  その他、多くの人がここで記念撮影をしていた。旧街道歩きが静かなブームとなっているようだ。
  昔なら「お江戸日本橋七つ立ち、初のぼり、行列そろえてあれわいさのさ、こちゃ高輪夜明けの提灯消す、こちゃえ」と唄われているように、七つ立ち(朝の4時)が普通であった。今はこの時間(10時)でもスタートする人が多くいた。
日本橋欄干より
  いよいよ、銀座方面に向かって日本橋を渡る。橋の欄干より下をみた写真である。日本橋川の上を無粋な首都高速道路が走っているのは、今の日本の象徴でもある。
  これからの旧街道歩きで到る所で、旧と新が交差するところがあり、旧がきちんと保存されているところがあるとほっとする。
日本橋1丁目交差点銀座方面
  日本橋を渡って、前(京都側)を向いたところである。日本橋1丁目の交差点だ。旧東海道の第一歩は、東京のど真ん中から歩くことになる。
  これから、カメラを肩に寄り道しながら、のんびり、ゆっくり京都三条大橋を目指して歩いていこうと思っている。無事完歩できることを祈って。



ルート
 
銀座線「三越前」〜元標の広場
〜日本橋〜日本橋1丁目
〜品川宿

歩行距離 200m
歩行時間   2分

休憩所・トイレ

公園等なし

(参考)
日本橋三越デパート


名 物

梅ぼ志飴:栄太郎本舗(安政年間創業)
味付海苔:山本海苔店(嘉永2年創業)
海苔:山形屋(明和元年創業)
鰹節:八木長(元文2年創業)
銘茶:山本山(元禄3年創業)
漆器:黒江屋(元禄年間創業)
和紙:はいばら(文化3年創業)
他、多数

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