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東海道五十三次ぶらり徒歩の旅 3

3神奈川4保土ヶ谷5戸塚宿6藤沢宿





3神奈川宿

熊野神社・狛犬



大きな狛犬だ
まるで獅子みたいである

旧東海道ぶらり歩き旅の3日目
先ずは、神奈川宿の入口にある
熊野神社を訪ねてみた

この狛犬は嘉永年間(1848〜1854年)の作とのこと
鶴見村石工 飯島吉六作と書いてあった

横浜市神奈川区神奈川本町 熊野神社)


神奈川台



神奈川区台町は、神奈川宿からの坂道で、かつて神奈川台と呼ばれていた
一里塚(金刀比羅神社の前)や坂の頂上には神奈川台関門のあった所である

右手の割烹料亭田中家が
安藤広重の東海道五十三次の「神奈川宿台之景」に
描かれた2階建て旅籠「さくら屋」(現田中屋の前身)のあったところだ

この裏手が、神奈川湊(みなと)のあったところで、景勝地として知られていた
この旧東海道沿いには茶店が軒を成していたところである

今下を覗くと、横浜の市街が望めるが、
もとは海原であった。そして、遠くの砂州が横浜と呼ばれ
今の関内(横浜港)である


横浜市神奈川区台町)


2保土ヶ谷宿

帷子橋



保土ヶ谷宿の帷子(かたびら)川に掛かる帷子橋の跡である
この橋を渡ると保土ヶ谷宿であった
古来より、絵(江戸名所図会)や歌に紹介された名所である

現在の帷子橋は、昭和31年に川の流れを変えられ、この橋跡より
100m程北東側に移動している


横浜市保土ヶ谷区神戸町 天王寺駅前)



4保土ヶ谷宿本陣



保土ヶ谷宿の軽部本陣跡である
当時の門がそのまま残されている

保土ヶ谷宿にはこの他、3つの脇本陣があった


横浜市保土ヶ谷区保土ヶ谷町1丁目)



品濃一里塚



保土ヶ谷宿を出て、旧東海道最初の難所と言われる
権太坂(ごんたざか、約1.5kmのだらだら坂)を登ると堺木(さかいぎ)地蔵がある
ここが、かつての武蔵国と相模国の国境であった

ここで、休憩を取った後
今度は深い木立に囲まれた如何にも旧東海道らしい
品濃(しなの)坂を戸塚宿に向かって下った

その途中にあるのがこの品濃一里塚である
道の両側にきちんと、一里塚が残されている
江戸より9番目の一里塚である

日本橋を出発し、ここまでで36km歩いて来たことになる

多くの一里塚は、道路拡張などで、片側の塚が
無くなっているが、ここは両側とも残されている珍しい所だ
県の史跡に指定されている

如何にも旧東海道と言った風情を残す所であった


横浜市戸塚区 品濃(右側)、平戸(左側))


モチノキ



旧東海道に面した巨木、モチノキである
戸塚宿の手前の不動坂にある

神奈川の銘木100選に選ばれている益田家のモチノキだ
樹高19mの木が旧東海道を見下ろしている

これほどの高さのものは類が無いとのこと
神奈川県指定天然記念物に指定されている

神奈川県横浜市戸塚区柏尾町)



5戸塚宿


5戸塚宿・澤邊本陣跡



左手が戸塚宿の本陣跡(澤邊本陣)である
明治天皇休息記念碑も建っていた

戸塚宿は江戸から10里半
当時は、1日10里が男の標準行程であったから
この戸塚宿を最初の宿とした例が多い

「東海道中膝栗毛」の弥次さん、喜多さんもここが第1夜であった


神奈川県横浜市戸塚区戸塚町)



大坂・庚申塚



旧東海道を歩いていて気が付いたのが
意外と庚申塚や馬頭観音、道祖神に
お目にかかれないことであった

信州の塩の道などでは、到る所にあった
おそらく、交通量が激しく、道路が拡張されて来た為か
街道沿いから、追いやられてしまったのだろうか

この庚申塚は、戸塚宿の上方見附跡の先
大坂の途中(大坂台)にあった

丁度旧東海道の坂を見下ろしているようであった


神奈川県横浜市戸塚区戸塚町大坂台)



6藤沢宿

遊行寺・大銀杏



藤沢宿は、遊行寺(時宗の総本山)の門前町として鎌倉時代から栄えた町だ
江の島や鎌倉への拠点としても賑わっていた

境内にある大イチョウは見事である
樹齢700年、幹の太さは6.6mとのこと


(神奈川県藤沢市)

0410/0604

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略 図

経路 青線部 25.16km













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