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東海道五十三次 ぶらり徒歩の旅7

箱根西坂11三島宿沼津駅




箱根西坂

向 坂



箱根芦ノ湖から箱根峠にかけても
旧東海道の石畳みが残されている

この辺を向(むかい)坂という

大勢の人に踏まれ、石の表面が滑らかで
滑りやすくなっていた


(神奈川県箱根町 向坂)



箱根峠



箱根峠(846m)より芦ノ湖を見下ろした写真である

向坂、赤石坂、風越(かぜこし)坂、挟石(はさみいし)坂と
杉木立石畳の旧東海道を登っていくと
程なく、箱根峠に着く

相模と伊豆の国境である
現静岡県函南町となる

これからはいよいよ三島までの長い下り坂(箱根西坂)となる


(静岡県函南町 箱根峠)



兜石坂



箱根峠(846m)より
いよいよ旧東海道の西坂の第一歩を踏み出したところの
急坂で兜石(かぶといし)坂と呼ばれている

西坂は三島まで、ほぼ一直線の長い長い急坂である
滑りやすいため、石畳が敷かれていた

この兜石坂は、秀吉が小田原攻めの時
兜を置いたという石のあったところだ

なお、兜石は現在旧東海道の山中新田1里塚の近くに移動されている



(静岡県函南町 兜石坂)



雲助徳利の墓



小枯れ木坂の麓に
雲助徳利の墓がある

盃と徳利が浮き彫りにされた珍しい墓である
酒の好きな雲助の頭の死を悼んで、仲間によって
建てられたという

よほど、仲間に好かれた飲兵衛だったのであろう



(静岡県三島市山中新田 小枯木坂)



山中城跡



旧東海道西坂にある山中城址の櫓跡よりの富士である
北条氏の出城のあったところだ

芭蕉の「霧しぐれ富士は見ぬ日ぞ面白き」
のやせ我慢の句(富士見平に句碑がある)が有名であるが
今回は富士が見事に見えた

西坂の魅力の第一が、やはりこの富士を右に見て歩く醍醐味であろう
しかし、三島に近づくにつれ、生憎と富士が霞んできた


静岡県三島市山中新田 山中城址)



六地蔵



下長坂は別名「こわめし坂」と呼ばれていた
西坂で一番急で長い坂のため
背負っていた米が汗と熱でこわめしになったという・・・

その坂を下ったところにこの六地蔵がある
今も旧東海道の安全を見守っている

六地蔵は村や墓の入口に立てられているが
本来は六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上)を彷徨(さまよ)う
人々を救おうと立てられたのが地蔵菩薩である

それを六つの道の入口、境界の意味に取り
街道筋などに立てられていることが多いようだ


(静岡県三島市市山新田 六地蔵)



錦田一里塚



小時雨(こしぐれ)坂、大時雨坂、臼転(うすころばし)坂をすぎると
すぐにこの錦田一里塚がある
きちんと両側に保存されている

日本橋より28番目(112km)の一里塚である
ここまでくると三島宿は目と鼻の先である


(静岡県三島市三恵台)



初音ヶ原



初音ヶ原の見事な松並木である

錦田の一里塚を出発して、この初音ヶ原(はつねがはら)の松並木を通り
愛宕坂、今井坂を下ると三島宿である

害虫駆除用の松のこもが、真新しかった



(静岡県三島市初音台)



11三島宿


三島大社



ここが三島大社である
広大な境内は、さすがに伊豆国一宮

頼朝がここで旗揚げし戦勝祈願したところである

三島はもともと伊豆の国府のあったところで
門前町として賑わっていたところである



(静岡県三島市大社町)



11三島宿・時の鐘



三島宿の時の鐘である
江戸時代宿場の人々に明け六つと暮れ六つの時を知らせた
右奥が三石神社
そして、直ぐ左下を流れる川が源兵衛川

この川の水が透き通っていて川の底まで丸見えであった
三島は湧水に恵まれたところで
柿田川の湧水群は有名だ



(静岡県三島市西本町)



宝池寺一里塚



三島と沼津の中間にある宝池寺(ほうちじ)門前の一里塚(復元)である

旧東海道を挟んで右側の玉井寺(ぎょくせいじ)境内にある一里塚は原型を留めている



(静岡県三島市玉川)



沼津駅前



夕刻の4時半、沼津駅に到着
朝の8時45分に箱根の芦ノ湖(箱根町)を出て8時間弱の行程であった



(静岡県沼津市大手町 JR沼津駅前)
0412/0605

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略 図

経路 青線部 19.35km












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