東海道五十三次 ぶらり徒歩の旅 10
17興津宿〜18江尻宿〜19府中宿〜20丸子宿〜21岡部宿〜22藤枝宿
17興津宿
清見寺五百羅漢
清見寺の五百羅漢
清見寺は奈良時代に建てられた古刹だ
家康が今川義元の人質であった頃に、良く訪れた寺としても知られている
(静岡県清水市興津清見寺町)
18江尻宿
少年サッカー発祥の地
江尻城は巴川沿いの、この辺から裏手の江尻小付近にあったが
その面影は全く無い
この稲荷神社境内に「日本少年サッカー発祥の地」の碑があった
(静岡県清水市江尻町)
江尻・稚児橋
慶長2年(1607年)家康の命により掛けられた橋
江尻橋と名付け、渡り初め式の時に、童子(河童)が現れ
橋を渡って行った所から
童子橋、そして稚児橋と言われるようになった
(静岡県清水市入江町 巴川)
追分道標
左手に見事な道標が立っている
「是よりしみづみち」とある
清水港、久能山への分岐点であった所だ
その脇には江戸時代(元禄8年)より続く追分羊羹の本店がある
(静岡県清水市追分)
19府中宿
狛 犬
静岡護国神社の巨大な狛犬である
(静岡県静岡市柚木)
19府中宿・駿府城跡
駿府城は家康の隠居の城であった
写真は二之丸橋より見た堀である
この先に東御門と巽櫓(たつみやぐら)が再現されている
(静岡県静岡市追手町
府中札之辻址
静岡の繁華街である
かつては追手門の入口付近であった
ここから道幅が七間(約13m)もある広い道で
両側には府中特産の漆器、竹細工、家具、蒔絵、ひな具等々
の店が軒を並べていた由
現在も、賑やかな商店街となっている
右手の建物はデパートの伊勢丹で
その手前に札之辻址の碑が建っている
(静岡県静岡市呉服町)
安倍川
府中宿とも別れ、あべかわ餅で知られた安倍川まで歩いてきた
この川は、江戸時代は人足渡しであった
あべかわ餅は家康が名付けたと言う
安倍川の手前川岸に、あべかわ餅の老舗石部(せきべ)屋が今も営業している
(静岡県静岡市弥勒)
丸子宿町並
安部川を渡ると、次は丸子宿である
本陣1、脇本陣2、旅籠24軒
旧街道の面影が残されているところだ
(静岡県静岡市丸子)
丸子宿・丁字屋
江戸時代から続いている、丸子川の側の丁字屋(ちょうじや)である
街道名物のとろろ汁であるが、今日は生憎の定休日であった
芭蕉の「梅わかな丸子の宿のとろろ汁」と詠まれたところである
(静岡県静岡市弥勒)
21岡部宿
宇津ノ谷・お羽織屋
旧東海道宇津ノ谷(うつのや)峠の登り口にお羽織(はおり)屋
秀吉が褒美に胴腹(どうぶく、陣羽織の一種)を与えた店として知られている
宇津ノ谷名物の十団子(とおだんご)を販売している
十団子は苦難除けの小粒の団子で、鬼退治の伝説が残されている
店内には今でも秀吉の胴腹が展示されている
(静岡県静岡市宇津ノ谷)
旧東海道・宇津ノ谷峠
旧東海道の難所であった宇津ノ谷峠
今なお薄暗い山道となっている
この峠を超えると次は岡部宿である
(静岡県岡部町)
旧東海道・宇津ノ谷峠
道中で知り合った埼玉県上尾市のO氏
泊りながら、京都まで一気に歩くと言う
既に四国四十八ヶ所、旧中山道を歩いているとのこと
大先輩である。脱帽。
なお、写真はO氏の了解を得て掲載
(静岡県岡部町 宇津ノ谷峠)
21岡部宿本陣跡
岡部宿内野本陣跡のあるところ
現在岡部宿公園として整備されている
岡部宿は、本陣2、脇本陣2、旅籠27軒あった
(静岡県岡部町)
旧東海道・岡部宿
旧東海道の岡部宿は、今でも昔を偲ばせる佇まいをみせている
近くに小野小町の姿見の橋のあるところだ
晩年に京都より東国に下る途中、岡部宿に泊まったという
その時、橋の下の水面に写る長旅で疲れ果てた
老いた自分の姿を見て嘆き悲しんだという
(静岡県岡部町)
22藤枝宿
藤枝宿・須賀神社のクス
樹齢500年、静岡県で有数の大きさを誇るクスの大木
近くに東海道中膝栗毛でも御馴染みの鐙ヶ渕(あぶみがふち)があるところ
樹高 23.7m、 根廻 15.2m
(静岡県藤枝市水守)
旧東海道・藤枝宿
旧東海道の藤枝宿の中心街
今は商店街となっているが、
歩道には「藤枝宿下本陣跡」、「藤枝宿問屋場跡」
のプレートが埋め込まれている
藤枝宿は本陣2、脇本陣0、旅籠37件であった
(静岡県藤枝市藤枝)
旧東海道・瀬戸川
瀬戸川に架かる勝草橋
橋を渡ったところに一理塚のあるところ
いよいよ藤枝宿を抜け、次の島田宿への道程となる
今回は、ここで中断し、JRの藤枝駅より帰宅した
(静岡県藤枝市)
0504/0607/0805
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略 図
経路 青線部 40.33km
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