東海道五十三次 ぶらり徒歩の旅 11
23島田宿〜24金谷宿〜25日坂宿〜掛川駅
23島田宿
藤枝宿・東海道追分
旧東海道の藤枝宿を出て、瀬戸新屋にある地蔵堂の先に
この「東海道追分」の道標がある
右手が旧東海道である
この追分は、瀬戸山を越える中世の古道と
山裾に沿う旧東海道の分岐点であった
(静岡県藤枝市瀬戸新屋)
23島田宿刀匠碑
室町時代から幕末まで
多くの刀工がこの島田宿に軒を連ね
鍛冶集団を形成していた
特に、戦国大名の今川氏、武田氏、徳川氏などに高く評価され
非常に繁盛していた由
(静岡県島田市)
大井川川越遺跡街並み
国指定の島田宿大井川の川越(かわごし)遺跡街並みである
すぐ先が、大井川である
写真は番宿の一部で、川越人足の溜まり場であった
幕末で650人の人足が待機していた
(静岡県島田市)
大井川川越広場
大井川の川越広場である
広重の宿場絵や文学碑、蓮台の模型がある
遠くに見える橋はJR東海道線の鉄橋である
(静岡県島田市)
24金谷宿
金谷宿本陣跡
大井川を渡ると、駿河より遠江に変わる
その最初の宿場が金谷宿である
写真は金谷宿の柏谷本陣跡である
この手前にもう一つの佐塚屋本陣跡がある
(静岡県島田市金谷町)
金谷坂石畳
金谷坂の石畳は復元されたもので全長430m
写真右手は石畳茶屋である
(静岡県島田市金谷町)
牧の原茶畑
金谷坂の急な石畳を登り切ると急に視界が開ける
一面、茶畑である
江戸時代は、荒地であったが明治維新後に開拓された茶畑である
この右手に有名な諏訪原城跡がある
(静岡県島田市金谷町)
菊川坂石畳
金谷坂を登り切った所にあるのが諏訪原城跡
そして、ここからは、間の宿菊川まで急坂を下る事になる
菊川の石畳は、最近発掘されたもの
江戸時代後期に作られたもので、当時は380間(690m)あったが
現在は161mのみが残されている
(静岡県島田市菊川)
間の宿菊川
菊川の急坂を下ったところにあるのが
かつての間の宿菊川である
ここから、また小夜の中山までは上り坂となっている
(静岡県島田市菊川)
小夜の中山・箭置坂
間の宿・菊川より小夜の中山峠へ向かう箭置(やおき)坂である
目の前には、一面茶畑が広がっている
かつては箱根峠、鈴鹿峠と並んで東海道3大難所の一つであった
(静岡県島田市佐夜鹿)
小夜の中山・久延寺
小夜の中山峠にある久延(きゅうえん)寺
掛川城主の山内一豊が、家康を接待するために境内に茶室を設けたと伝えられる古刹
夜泣き石で知られている
(静岡県掛川市佐夜鹿)
小夜の中山峠西坂
小夜の中山峠を超えると、佐夜鹿の一里塚跡がある
この一里塚を越えると、次の日坂宿までは、急な下り道となっている
途中、多数の歌碑が設置され、見晴らしの良い快適な街道となっている
(静岡県掛川市佐夜鹿)
25日坂宿
日坂宿本陣跡
日坂宿の扇屋本陣跡
今は日坂幼稚園になっている
本陣1、脇本陣1、旅籠33で坂下宿、由比宿に次いで小さな宿場であった
しかし、その分、街並みは昔の町割りがほぼ当時のまま残り
江戸時代の雰囲気を良く伝えている
(静岡県掛川市日坂)
日坂宿旅籠
日坂宿の旅籠、川坂屋である
内部が無料で公開されている
総畳数 64畳半、総建坪は78坪の旅籠である
(静岡県掛川市日坂)
秋葉常夜灯
日坂宿の相伝寺入口にある常夜灯
日坂宿はしばしば火災にあっているせいか
秋葉信仰が盛んで、宿場のあちこちに
神の加護を願い、常夜灯が立てられていた
これらの常夜灯は道標の役目も果たしていた
日坂宿には、現在3基の常夜灯が残されている
(静岡県掛川市日坂)
日坂宿高札場跡
日坂宿の高札場
実際の高札が復元されている
幕府や藩の定めた法令や禁令を板札に墨で書かれたものだ
ここに下木戸があったため、下木戸の高札場と呼ばれていた
(静岡県掛川市日坂)
事任八幡神宮
日坂宿を出て、すぐ左手にある事任(ことのまま)八幡宮(誉田八幡宮)
大同2年(807年)坂上田村麻呂が興したと伝えられている
願い事が「ことのままにかなう」と評判になり賑わっていたとのこと
(静岡県掛川市日坂)
26掛川宿・JR掛川駅
JRの掛川駅
来年のNHKの連続ドラマ(山内一豊)の舞台とのことで
市内のあちこちに垂れ幕があった
今日のぶらり徒歩の旅はここで中断し帰宅した
(静岡県掛川市)
0505/0607
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略 図
経路 青線部 30.24km
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