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旧東海道五十三次 ぶらり徒歩の旅 12

26掛川宿27袋井宿28見附宿〜磐田駅



26掛川宿


掛川城




遠江の掛川城である
城主山内一豊が知られているが
この地に最初に城を建てたのは駿河の守護大名の今川義忠である



将門十九首塚



平将門以下19人の首が埋葬されたところ
天慶3年(940年)、藤原秀郷が平将門を滅ぼし、将門と家臣19人の
首級をここまで運び、京から勅旨の検死を受けた後ここに埋葬した

今でもこの辺の町名は一九首(じゅうくしゅ)町と呼ばれている



仲道寺



東海道の江戸と京都の丁度中間にある寺、仲道寺である
享保18年(1733年)の建立とのこと



原川の松並木



間の宿原川の松並木である
ここの松も、近年のマツクイ虫の被害にあったとのこと



27袋井宿

東海道五十三次のどまん中・27袋井宿



袋井市に入ると到るところに
東海道五十三次どまん中の看板が出ている
江戸からも京都からも丁度27番目の宿場・袋井である

校庭に一里塚跡のある袋井市立東小学校の
正面入口にも大きな看板が立っていた


(静岡県掛川市、袋井市)



新屋の秋葉山常夜灯




袋井市新屋(あらや)の秋葉山常夜灯

伏の神である秋葉山三尺大権現に対する信仰は
特に江戸時代に盛んであった

街道の到る所に秋葉山常夜灯が今でも残されている
しかし、殆どが石で作られており、木造のものでこれだけ程度の良いものは珍しい


(静岡県袋井市新屋2丁目)



袋井宿の天橋



広川に架かる天橋(あまばし)
ここが袋井宿の東の入口であった
橋の袂に説明があり、幟の立っている左正面の店は
歩行者用の駐車場の無い「道の駅」であった

ここは何と、6叉路の交差点となっており
旧東海道の道筋が解らにくくなっている


(静岡県袋井市)



袋井宿・本陣跡



袋井宿の東本陣跡である
袋井宿には、本陣はこの他に2軒あった

袋井の地名は、太田川と原野谷(はらのや)川の
合流部の北部にある袋状の地形の意とのこと


(静岡県袋井市)



袋井宿場公園



東本陣と旧東海道を挟んで反対側(南側)に
見事な宿場公園が出来ている
徒歩の旅人にとって実にありがたい公園であった

屋根つきのベンチや、トイレ、水飲み場もある
まさに旧東海道のオアシスであった


静岡県袋井市)



御幸橋



宇刈川に架かる御幸橋の袂である
ここが袋井宿の西の入口である

常夜灯と高札場があった


(静岡県袋井市)



28見附宿

見附宿 西坂



愛宕山の急な西坂を下ると見附(みつけ)宿に入る
見附とは、街道を京都より下っていて
初めて富士山を望むことが出来るところから見付と呼ばれるようになった由



(静岡県磐田市見付)



見付学校



現存する最古の木造擬洋風小学校
明治8年に建てられたというがなかなか立派な建物である

右手は淡海国玉神社

この辺は旧宿場の中心地で本陣跡や問屋場、そして寺院が密集している所だ


(静岡県磐田市見附宿場通り)



JR磐田駅



古い宿場町をイメージした駅舎は、遠くから目立っていた

磐田の名は、古代からの郡名で、「伊波太」と和名抄にも載っている
県下で最古・最大の松林山古墳など多くの古墳がある
市の中心部には遠江に国府が置かれていたところだ

今回の徒歩の旅はここで、中断し家に戻った



(静岡県磐田市)
0505/0608

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略 図

経路 青線部 18.97km














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