旧東海道五十三次 ぶらり徒歩の旅 13
天竜川〜29浜松宿〜JR高塚駅
天竜川
宮之一色の秋葉山常夜灯
宮之一色(みやのいっしき)の秋葉山(あきはさん)常夜灯
JR磐田駅で下車し、駅前の交差点を左折すると、そこが旧東海道である
磐田市の隣の豊田町に入ると、宮之一色の一里塚跡、そしてこの常夜灯がある
この常夜灯は平成8年に部分修正されているが、殆ど昔のままのものとか
その棟札には、文政11年(1822年)の建立と記されている
竜の彫り物があるので、竜燈(りゅうとう)と呼ばれ
数ある常夜灯の中でも貴重なものとのこと
( 静岡県豊田町宮之一色 )
天竜川・天竜橋
かつての難所であるが、徒歩の旅では
現在でも、街道一の難所であった
歩道の無い狭い橋(片側一車線)を大型トラックが
ビュンビュン飛ばしている
出来るだけ道の端を、よろめかない様にして
小さくなって、びくびくしながら歩く他無かった
川は深く淀んでいた
かつては、ここは舟渡しであった
( 静岡県浜松市天竜川 )
松林寺
難所の天竜川を越えると、再び旧東海道らしい道となる
10分程歩くと右側にあるのが松林寺である
忠魂碑、平和塔、明治天皇御製碑等がある寺だ
( 静岡県浜松市安間町 )
金原明善翁生家
旧東海道に面して、見事な黒塀と総檜造りの築後200余年になる
見事な邸宅が残されている
金原明善(きんばらめいぜん)の生家である
道(旧東海道)の反対側に明善記念館が出来ている
金原明善は暴れ天竜と呼ばれ、度々洪水災害を起こしていた
天竜川の治水と上流部の植林に私材を投じて、尽力した人だ
記念館には、遺品や関係資料等が展示されている
(静岡県浜松市安間町)
浜松駅前
浜松駅前のオークラ、アクトシティホテル浜松である
最高部の45階には、展望回廊が設けられ、市街が一望できる
この特異な形状のビルは、旧東海道を歩いていて
遠くより良く見え、良い目標であった
かつての目印であった浜松城の天守閣は全然見えなかった
( 静岡県浜松市板屋町 )
浜松城
ご存知、家康が若いとき住んだ城である
昔は遠くから目立った天守も今は駅前のホテルには敵わない
浜松城は、三方原の南東端の傾斜地に家康により築城された
自然石を積み上げた野面積(のづらつみ)が特徴である
( 静岡県浜松市元城町 )
29浜松宿・梅屋本陣跡
浜松宿の梅谷本陣跡である
浜松には6軒もの本陣があった
その総てが、戦災で焼失した
浜松市内を歩いてみて痛感した
浜松は車優先の町なのである
オートバイと車の工場がある工業都市なのである
この交差点も、横断歩道は無く、右手の立派な階段を下り
地下道を通らないと道路を横断出来ないのである
浜松城からここまで来るのに、疲れた足を引きづって、何と3度も
地下道を通る羽目になった
旧街道より城まで行くのに2度地下道を通ったので合計5回もである
徒歩の旅人にとっては何とも惨い(むごい)町であった
( 静岡県浜松市鍛冶町 )
八丁縄手
「畷(なわて)」では無く、縄手(なわて)と写真左下の道標には書いてある
どうもピンとこないので調べてみるとやはり「畷」が正しい
教育委員会の方が気を効かして、当用漢字にある縄手とした様だ
まぁ、何となく意味が解るからここでは、不問にしょう(^_^)
浜松の市街地を抜け、舞阪宿への一歩道である
このすぐ先左手には一里塚跡の碑があった
可美村教育委員会の説明板によると
この辺は、土手の上に松並木が続いていたとの事
(静岡県浜松市森田町)
二つ御堂
二つ御堂(ふたつみどう)
藤原秀衡とその愛妾を弔う二つの御堂である
写真は北の御堂で、道路の反対側に南の御堂がある
この左に高札場があった
( 静岡県浜松市東若林町 )
熊野神社
諏訪神社、領海石を過ぎ、この熊野神社まで来た
今回は、陽射しが強く、暑かった
Tシャツ一枚であったが、汗でぐっしょりであった
この木陰で休憩させていただいた(拝礼)
この入口には高札場跡の碑があった
( 静岡県浜松市増樂町)
JR高塚駅
JR東海道線の高塚駅である
余りの暑さに、駅前の酒屋で冷えたビールを買った
そして駅前の広場(写真右手)の木陰のベンチでグイッとやった
まさに至福の時である
今回の徒歩の旅はここで中断し、電車で帰宅した
(静岡県浜松市高塚町)
0506/0608
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