大岡越前守陣屋跡
乙川の川を渡ると、大岡越前守陣屋跡がある
正しくは、西大平陣屋と言われたところだ
もっとも大岡越前守忠相は在府の大名(1万石)であったから
一度もこの地には訪れたことは無い
(愛知県岡崎市男川)
大平一里塚跡
左(南)側に大平の一里塚が残されている
斜向には巨大な常夜灯があった
かつてはここに北側の一里塚があったところだ
此処までくると岡崎宿は目前である
(愛知県岡崎市大平)
旧東海道 岡崎筋違橋東
国道1号線より「筋違橋東」と標識のあるところを
右斜めに入った狭い道が旧東海道である
(愛知県岡崎市根石町)
38岡崎宿二十七曲り東口
旧街道を暫く歩くと、大きな冠木門がある
正面の大きな石碑には「岡崎城下二十七曲り」の説明と
詳しい地図が彫られている
ここが岡崎の二十七曲りの東入口である
ここから、いよいよ城下町特有の曲がりくねった道を辿ることになる
迷わずに通過できるか、一寸心配ではあった
(愛知県岡崎市若宮町)
岡崎城東入口
二十七曲りの最初の角である
角の石の道標には
「欠町(かけまち)より投町(なぐりまち)角、岡崎城東口入口」
と彫られている
旧東海道はここで左に曲がる
(愛知県岡崎市若宮町)
伝馬通り
角の石の道標には「岡崎宿伝馬」と彫られている
この辺に東本陣、西本陣があった
岡崎宿は、本陣3、脇本陣3、旅籠は何と112軒もあった
(愛知県岡崎市伝馬通)
御馳走屋敷跡
御馳走屋敷は、岡崎藩の迎賓館で
勅旨や御三家、老中、所司代、朝鮮通信使等の接待に用いられた
間口が15間以上もある立派な屋敷であった由
(愛知県岡崎市伝馬通)
籠田総門通り
右側の赤レンガの建物は旧商工会議所で
現岡崎信用金庫資料館となっている
大正時代の建物である
反対側には吉良道の道標がある
この辺には、御馳走屋敷や、塩座、公設市場などがあったところだ
(愛知県岡崎市伝馬通)
籠田公園
旧街道沿いにある籠田公園である
この公園の右角に大きな常夜灯がある
寛政10年(1798年)、岡崎城下3番目の常夜灯として
作られたものが保存されている
また、この公園の反対側には岡崎城対面場所の碑が建っている
猛暑で、さすがに疲れたので、ここのベンチで大休憩を取った
水飲み場の水が旨かった
(愛知県岡崎市籠田町)
材木町
左の店が研ぎ屋の「とぎ辰」である
旧東海道は、ここより手前右の道に曲がる
ここから又、狭い道幅の旧街道歩きとなる
(愛知県岡崎市材木町)
魚町常夜灯
角を曲がると狭い道となっている
少し歩くと、さらに道が狭くなる
その角に大きな常夜灯があった
元肴町(うおまち、現魚町)である
右手に白山神社があるところだ
(愛知県岡崎市魚町)
三清橋
狭い道を抜けると、また広い道に出る
右折すると、目の前に橋がある
伊賀川に架かる三清橋である
旧東海道は、この橋を渡り、すぐ左折となる
兎に角、見事なほど曲がりくねっている
岡崎27曲りとは良く言ったものだ
持参した1万分の1の地図が役に立った
(愛知県岡崎市魚町)
岡崎城
岡崎城
何度かの角を曲がった後
岡崎城に寄り道した
岡崎に来て、家康生誕の城跡に行かないのも変である
岡崎城は矢作川の支流である乙川と
伊賀川が合流する台地の上に築かれている
「5万石でも、岡崎さまは、お城下まで船が着く」
と唄われたように、城の南側の乙川に城専用の船着場があった
(愛知県岡崎市康生町)
岡崎城・家康産湯の井戸
家康はここで、天文11年(1542年)に産まれた
この井戸の水を産湯に使ったという
(愛知県岡崎市康生町)
岡崎城天守閣
岡崎城は、もともとは康正元年(1455年)西郷稠頼(ちかより)によって
築城されたもの
この「康正(こうしょう)」が、現在の町名となっている
その後、享禄3年(1530年)に家康の祖父松平清康が入城し
広忠、そして家康と3代続いた
(愛知県岡崎市康生町)
旧東海道 板屋町
岡崎城で大休憩の後
また同じ道を辿り、旧東海道に戻った
先ほどの材木町とここ板屋町は昔の街道の面影を留めている
(愛知県岡崎市板屋町)
中岡崎駅
今回は此処で街道歩きを中断した
中岡崎駅と隣接した名鉄の岡崎公園駅より
豊橋に戻り、新幹線で帰宅した
今回は、1泊2日であったが、猛暑でさすがに思うように歩けなかった
まさに、疲労困憊であった
次回は少し涼しくなってから歩こうと思う
(愛知県岡崎市板屋町)
0506/0608/1411
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略 図
経路 青線部 10.17km
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