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旧中山道六十九次 ぶらり徒歩の旅 9

坂本刎石山山中立場碓氷峠


作者 Hitosh



坂本


坂本・旧中山道分岐



JR横川駅(9:11着)よりタクシーで坂本宿の八幡神社まで来た
ここから、旧中山道に復帰である

今回は難所碓氷峠越えである
軽登山靴を履いてのハイキングスタイルであった

熊が出没しているとの情報で、今回は腰に熊除け用の鈴を付けての出発である

☆ ☆

八幡宮の前を通り、現中山道(国道18号線)が
大きくカーブするところで、旧中山道(写真)は左に入る

細い山道となった
坂本宿より正面に見えた刎石山(はねいしやま、標高909m)である

なお、ここの標高は480mであった
碓氷峠は1188mであるので
今日は比高700mを登ることになる


(群馬県安中市松井田町坂本)

刎石山

堂峰番所跡





現中山道を横切ると、いきなりの急坂であった

この坂の見晴らしの良い所に、堂峰番所跡がある
関所破りの監視所であったところだ

石垣の上に番所を構え
中山道を挟んで定附同心の住宅が二軒あった

現在でも、門の土台石やその地形が石垣と共に残されている


(群馬県安中市松井田町坂本)


刎石坂









刎石坂(はねいしさか)は碓氷峠一の難所である

以前には芭蕉の句碑もあったが
今は坂本宿の上木戸に移されている

道の傍らには、南無阿弥陀仏の碑や、大日尊、馬頭観音
上り地蔵、下り地蔵等が多数あるところである

如何にも旧中山道らしいところだ

また、ここは火成岩の岩盤が露出したところで
柱状節理の見える所である


(群馬県安中市松井田町)


覗(のぞき)



刎石坂を登ったところが
江戸時代より覗(のぞき)と呼ばれているところだ

名前の通り、坂本宿が良く見えるところである

中央の一本道が旧中山道である

一茶がここで
「坂本や袂の下の夕ひばり」と詠んだ所だ
一茶は信州の出で、何度もこの碓氷峠を行き来している


(群馬県安中市松井田町)



刎石立場跡






刎石(はねいし)山の頂上(標高909m)にある
刎石(はねいし)立場(茶屋)跡である

茶屋本陣の他、茶屋が三軒あり、四軒茶屋と呼ばれていた

この途中に弘法の井戸があった
刎石茶屋に水が無いのを憐れみ、弘法大師が掘り当てたと言う
伝説のある井戸である

現在のハイカーの為のあずまやがあり
我々もここで休憩した

町田の高年の方と知り合った
五街道を順番に歩いているという

情報交換の後、名刺交換をした


(群馬県安中市坂本)


堀切





刎石(はねいし)茶屋跡を出ると堀切跡がある

天文十八年(1590年)、秀吉の小田原攻めの時
北陸・信州軍を防ぐために
松井田城主がここで防戦しようとして
道の両側を掘り切って、道を狭くしたところ(下の写真前方)とのこと

そのためこの先は、細い尾根道となっている


(群馬県安中市松井田町坂本)


馬頭観世音





刎石山の緩い坂を下った絶壁となっている
危険なところに、二つの馬頭観世音ある

南向馬頭観世音(上写真)と北向馬頭観世音と呼ばれている

南向馬頭観世音が寛政三年(1791年)
北向馬頭観世音がと文化十五年(1818年)の建立とのこと


(群馬県安中市松井田町坂本)

座頭転がし





すぐまた急な上り坂となる
座頭ころがし(釜場)と呼ばれた坂である

赤土で湿りがちのため、滑りやすく
岩や小石がごろごろしている急な坂である


(群馬県安中市松井田町坂本)


栗木ヶ原





栗ヶ原と呼ばれているところだ

ここに明治八年、群馬県最初の「見回り方屯所」が建てられた
これが、交番の始まりとのこと

広々としたところであったので
ここで昼食を摂る

例によって持参のビールとおにぎりである
暑かったので、冷えたビールが旨かった


(群馬県安中市松井田坂本)

山中立場

山中茶屋跡





山中立場(茶屋)跡
丁度、峠の真中にある茶屋である

明治の始め頃まで茶屋本陣を含め、13軒の茶屋があった

ここから続く子持山に続く山中坂は急坂で、ここで腹ごしらえをして
登ったことから「飯喰い坂」とも呼ばれていた

その立場跡に、鹿に皮を剥がされた生々しい跡があった


(群馬県安中市松井田町横川)


陣馬ヶ原



子持山(こもちやま、1107m頂上付近の陣馬ヶ原である
太平記に新田方と足利方のうすい峠の合戦が記されている
その古戦場跡とのこと

子持山に関して、万葉集に
「児持山 若かえるでの もみづまで 寝もと吾は思う 汝はあどか思う」
と詠まれた歌がある

ここから、旧中山道はこの草深い細い道となる
碓氷峠への最後の急坂である


(群馬県安中市坂本)


人馬施行所跡





暫く行くと、谷川と小さな滝がある

この手前に笹沢人馬施行所があった
江戸呉服商の与兵衛が、安中藩の許可を得て
人馬が休む家を建てたところだ

往来の旅人が喉を潤した場所で、碓氷峠一の水量を誇った水場跡である
我々も、ここで喉を潤した

旧中山道はこの橋の架かっていない谷川を飛び石伝いに渡った


(群馬県安中市松井田町)


長坂道





最後のきつい坂を登り切ったところで、和宮道に合流する

和宮道は、この狭い急坂を避けるために
広く緩い道を旧中山道の北側に作ったものだ

左の大きい石碑は、「思婦石(おもふいし)」である
日本武尊の故事を詠んだ歌碑である


(群馬県安中市松井田町)

碓氷峠

碓氷峠分水嶺







そして、やっと碓氷峠(1188m)に着いた
流石に疲れたので、峠の茶店で休憩することにした

名物の力餅を食した
腰のある餅と深みのある餡が何ともいえず旨かった

この茶店の前が日本海と太平洋に分かれる中央分水嶺で、国境であった
いよいよ信濃入りである

この後、頂上にある熊野神社、そして見晴らし台に立寄り
次の宿場軽井沢に向かった


(長野県軽井沢町)
0606/0609

歩行略図

歩行距離 6.6km
(青線部を歩行)



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