悠々人の日本写真紀行へ移動します




旧中山道六十九次 ぶらり徒歩の旅 21

JR奈良井駅〜34奈良井宿〜鎮神社


作者 Hitosh



34奈良井宿


JR奈良井駅



JR奈良井駅が見えてきた

右正面がこれから超えて行く
木曽路最大の難所鳥居峠である


(長野県塩尻市楢川村奈良井)



34奈良井宿・町並







奈良井駅前を抜けると
いきなり江戸時代にタイムスリップしたような光景となる

昔の町並みそのままである
殆どの家が2階をせり出した出梁(だしばり)造りの建物だ

電線も地下に埋められている

1978年に伝統的建造物群保存地区に指定されているだけの規模である

これから、約1kmの間
本陣1、脇本陣1、問屋2、旅籠5、茶屋などの他に
木地屋、漆器屋、櫛屋などの家並みが延々と続いている

かつては奈良井千軒と言われ
木曽路で最も賑やかな宿場であった

かつての旅籠や旧家で、今でも民宿として営業を続けているところが多い
全部で、11軒(奈良井宿観光協会)営業しているという

なお、奈良井宿は旧中山道六十九次の丁度真ん中の
34番目の宿場としても知られたところである


(長野県塩尻市楢川村奈良井)


杉野森酒造店・酒林(杉玉)





酒林(杉玉)は造り酒屋の看板である

酒林は新酒が出来ると、未だ葉の青い杉で造られた
新しいものが吊るされ、新酒が出来たことを知らせる

時間が経つと共に酒林は黄変していくが
それが新酒の熟成状況を知らせることにもなっているとか

写真は大吟醸「杉の森」で知られた杉野酒造店である
原料米は美山錦とのこと

やや辛口のすっきりした呑口である


(長野県塩尻市楢川村木曽平沢


大宝寺



少し進むと右手に大宝寺(だいほうじ)
戦国時代にこの辺を治めていた奈良井義孝が天正10年に建てた寺である

境内右手に祀られた「マリア地蔵」で知られたところ
抱かれた子供が手にしている蓮の花が十字架を連想させるという


(長野県塩尻市楢川村奈良井)


脇本陣・上問屋跡





上の写真はかつての脇本陣・徳利屋である
昭和15年まで旅館を続けていたという

明治時代には、島崎藤村、泉鏡花、幸田露伴、坪内逍遥、岡本綺堂、正岡子規・・・
が宿泊したという
高級旅館であった

今は徳利屋郷土館として公開されている

下の写真は元の問屋場である
奈良井には2つあり、ここは京都側(上方)の問屋であった


(長野県塩尻市楢川村奈良井)


鍵 手





枡形と同じで、こちらは鍵の手と呼ばれている
敵の侵入を妨げるため、わざと道を曲げてあるところだ

その鍵の手を曲がっても、未だ昔の家並みが続いている


(長野県塩尻市楢川村奈良井)


鎮神社





やっと家並みが途絶えたところに鎮(しずめ)神社がある
奈良井宿の鎮守である

神社由緒書によると
鎌倉時代の初期、鳥居峠に建立されたものを
天正年間(1573〜92年)に、奈良井氏により、ここに移されたとのこと

もともとは疫病流行を鎮めるために
建立されたようだ

次は、この鎮神社の先より、舗装された道を右に離れ
木曽路最大の難所・鳥居峠への山道である


(長野県楢川村奈良井
0611/0611

歩行略図

歩行距離 1.3km
(青線部を歩行)



前へ 中山道目次 次へ






悠々人の日本写真紀行

北海道 東 北 関 東 中 部 近 畿 中国四国 九州他

作者 Hitosh